『本朝武藝小傳』
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長野無楽斎槿露は刀術を田宮重正に学ぶ、而て精妙を得たり。後に井伊侍従に仕ふ、九十餘歳にして死す。 一宮左太夫照信は甲州武田家土屋惣蔵麾下の士に而て武功居多也。天正八庚辰年九月武田勝頼上州の膳城攻る之時、一宮、脇又市と相共に城戸に入て槍を合せ武勇を震う。 且つ刀術を長野無楽斎に学び其の妙を得たり今に至りて一宮流と稱す。末流諸州に在り。 又上泉孫次郎義胤いう者有り、一宮と共に無楽斎に従て神妙を得たり。
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