本朝武芸小伝
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『本朝武芸小伝』(ほんちょうぶげいしょうでん 本朝武藝小傳)は、江戸時代中期の書物。著者は天道流の達人、日夏弥助繁高[1]。正徳4年(1714年)に完成し、享保元年(1716年)に版行[1]。日本武芸列伝として最古のものである[1]。
別に『干城小伝』ともいい、兵法・諸礼・射術・馬術・刀術・槍術・砲術・小具足・柔術にわたって10巻より構成され、流祖について詳しく述べる。
明和4年(1767年)に版行した『日本中興武術流祖録』以降の武術書は、ほとんど本書を参酌している。
脚注
関連書籍
- 笹間良彦 『図説日本武道辞典』 柏書房、2003年05月発行 ISBN 4760121609
関連項目
本朝武芸小伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/13 03:18 UTC 版)
『本朝武藝小傳』卷六 刀術では、次のとおり重正は当時の柄の平均的な長さよりも三寸程長い長柄の刀を考案、推奨したという。 田宮平兵衞重正田宮平兵衞重正者關東人也、從林崎重信得抜刀之妙實盡變入神、後改對馬、北條早雲記曰、勝吉北條五代記曰長柄刀のはじまる仔細は明神老翁に現じ長づかの益あるを林崎勘助勝吉といふ人に傳へ給ふ長柄刀さしはじめ田宮平兵衞成正といふ者是を傳ふる、成正長柄刀をさし諸國兵法修行し、柄に八寸の徳、身腰にさんぢうの利、其外神妙祕術を傳へしより以後、長柄刀を皆人さし給へり、然に成正が兵法第一の神妙奥義と云は、手に叶ひなばいかほども長きを用ひべし、勝事一寸ましと傳たり、 — 『本朝武藝小傳』卷六 刀術 抜粋
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