ホータン【Khotan】
ホータン市
ホータン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:04 UTC 版)
ホータン(和田)はタリム盆地の西南方に位置し、西域南道を代表するオアシス都市である。漢語では古くは于闐と書いた。当地は古くから玉(ぎょく)の産地として知られている。地理的に西北インドに近いこともあり、紀元後2世紀頃にはクシャーナ朝の支配がこの地にも及んでいた。『魏書』「西域列伝」からこの地では仏教が繁栄したことが知られ、5世紀の法顕、7世紀の玄奘の訪問記録から、この地では当時大乗仏教が栄えていたことがわかる。西域南道方面には北道のような石窟寺院はみられず、寺院や塔婆は煉瓦や木で造られた。遺品も塑像のほか木、金属、布などを素材とするものが多く、具体的には、木片に描かれた絵画、木製の家具、貨幣、印章、絹布、羊皮紙文書などが今日に伝えられている。唐朝に仕えた高名な画家・尉遅乙僧(うっち いっそう)はホータンの出身で、その画風は「屈鉄盤糸」と評された。「屈鉄盤糸」とは、鉄線を折り曲げたような明確な輪郭線をもつ画風を形容したものである。尉遅乙僧のオリジナル絵画は現存しないが、後述のダンダン・ウィリク出土の板絵は彼の画風を偲ばせるものである。 ホータンの北方にあるラワク遺跡は仏教寺院址で、スタインによって調査された。32.7メートル×38.9メートルの方形プランで、中心に径9.7メートルのストゥーパが立ち、その壁面には塑像が設置されていた。これらの像はガンダーラ仏とは異質で、むしろインドのマトゥラーの仏像に似たところがあるが、その様式の源流は不明である。ホータンの東北方には流砂に埋もれたダンダン・ウィリクの寺院址がある。ここではスタインの調査により、十数箇所の寺院址が発見され、壁画や板絵の断片が出土した。ダンダン・ウィリクの出土品では、第10寺址出土の蚕種伝説にかかわる板絵が著名である。 銅造仏頭(画像参照) ホータン出土、3から4世紀、高さ17センチメートル。東京国立博物館蔵。大谷探検隊が日本へもたらした遺品の一つ。現存する中央アジアの仏像としては珍しい銅製で、一部に鍍金の跡が残る。口髭を生やし、頭髪は二重の紐で縛り、正面にいわゆるヘラクレス結びを見せる。額には花鈿状のものを表す。頭頂を肉髻状に表すところは仏像風であるが、大きく見開いた両眼、普通の長さに作られた耳などは常人と同じように表す。頂部に穴があり、もとはこの頭部を舎利容器に用いたものともいわれる。また、この仏頭の底面は塞がれており、別製の頭部を体部に嵌め込む構造であったとみられる。 ラワク寺院址 蚕種伝説図(板絵) ダンダン・ウィリク出土 大英博物館
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