サンデーサイレンス
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サンデーサイレンス(欧字名:Sunday Silence、1986年 - 2002年)は、アメリカ合衆国生まれの競走馬・種牡馬である。
サンデーサイレンスの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ヘイロー系 | [§ 2] | ||
父 Halo 1969 黒鹿毛 アメリカ | 父の父 Hail to Reason1958 黒鹿毛 アメリカ | Turn-to | Royal Charger | |
Source Sucree | ||||
Nothirdchance | Blue Swords | |||
Galla Colors | ||||
父の母 Cosmah1953 鹿毛 アメリカ | Cosmic Bomb | Pharamond | ||
Banish Fear | ||||
Almahmoud | Mahmoud | |||
Arbitrator | ||||
母 Wishing Well 1975 鹿毛 アメリカ | Understanding 1963 栗毛 アメリカ | Promised Land | Palestinian | |
Mahmoudess | ||||
Pretty Ways | Stymie | |||
Pretty Jo | ||||
母の母 Mountain Flower1964 鹿毛 アメリカ | Montparnasse | Gulf Stream | ||
Mignon | ||||
Edelweiss | Hillary | |||
Dowager | ||||
母系(F-No.) | 3号族(FN:3-e) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Mahmoud 4×5、Blue Larkspur 5×5(父内) | [§ 4] | ||
出典 |
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注釈
- ^ 馬の毛色は国によって分類が異なる。日本では、サラブレッドの毛色の登録は鹿毛、黒鹿毛、青鹿毛、青毛、芦毛、栗毛、栃栗毛、白毛の8種類と規定されている。これに基づき、日本に輸入されたサンデーサイレンスは「青鹿毛」と登録されている[1]。他国では毛色の分類方法が異なっていたり、「AorB」というような登録も認められている。サンデーサイレンスの生産地であるアメリカでは「Dark Bay or Brown[2]」となっている。dark bayはふつう「黒鹿毛」、brownはふつう「青鹿毛」と翻訳される。このため、アメリカ式の表記では「黒鹿毛ないし青鹿毛」となる。
- ^ ウィッシングウェルは繁殖入りしてから初年度の産駒がデビュー前に放牧地で雷に打たれて亡くなり、二年目の産駒も双子で流産してしまい、三年目にはヘイローが種付けされていたものの不受胎だったため、サンデーサイレンスが生まれるまでの間にデビューを果たした産駒は一頭もいなかった[9]。
- ^ 青鹿毛と黒鹿毛は酷似しており、区別は難しい。文化圏によっては両者を区別しない。日本では軽種馬の毛色を8種に分類することになっていて、欧米のように「AないしB」という表記が認められていない。
- ^ a b 後脚の中ほどにある関節。ウマ#身体の各部の名称を参照。
- ^ 外弧姿勢、X状姿勢という。脚が刀のように曲がっていることで、刀状姿勢とも呼ばれる[11]。そのような体型の馬は下半身の推進力に欠けるとされる[7][12]。
- ^ サンデーサイレンスの母ウィッシングウェルの競走馬時代の調教師。
- ^ なお、成長したサンデーサイレンスは社台ファーム代表の吉田照哉が「いつもピカピカ」、競馬評論家の合田直弘が「陽射しを浴びて黒光りした」とそれぞれ評した馬体を有するようになった[14]。武豊は1989年に初めての武者修行としてアメリカを訪れた際にデルマー競馬場でサンデーサイレンスを目にし、その時の第一印象として「(皮膚が)薄い馬だなあ」と感じたと述べている[15]。
- ^ a b c サンデーサイレンスの母・ウィッシングウェルの実質的所有者であったトム・ティザムのアドバイザー。
- ^ 一定水準以上の血統および馬体をもつと判断された馬が出品される部門。
- ^ サンデーサイレンスの母ウィッシングウェルの実質的所有者。
- ^ テッド・キーファー[† 8]のアドバイスによるものだった。
- ^ なお、サンデーサイレンスが競走馬として活躍を見せ始めると、ハンコックのもとには持ち分を購入したいという申し込みが相次いだが、ハンコックは売却しなかった[24]。
- ^ 主に脊椎に圧迫がかかっておこる病気で、馬が発症すると体のバランスを取ることができなくなり、競走馬としてのデビューが不可能になる[21]。
- ^ ウィッティンガムは後にこのことについて、「別にこの馬の何かを理解したとか、とても好きになったというわけではないんだけど」と前置きしたうえで、「ただ、2歳のセリであいつが見せた動きが気に入ったんだ」といい、また「オーククリフのアドバイザー(テッド・キーファー)があんまり奴を毛嫌いするものだから、かえって意地になっていたのかもしれない」と供述している[25]。
- ^ ヴァレンズエラは馬場の両側から歓声を浴びせられて驚いたからだと、ウィッティンガムは馬場の内側のラチ沿いに並んでいた警備員に驚いたからだとしている[32]。
- ^ 獣医師の診断は打撲または血腫による跛行[34]。
- ^ 1600m前後の距離を得意とする馬。
- ^ プライズドに騎乗していたエディ・デラフーセイはサンデーサイレンスの体が左右によろめき、そのストライドが徐々に縮まっていくのがはっきり見えたといい、「残り2ハロンの標識のところで、突然、脚がたたまれてしまったみたいに前に出なくなっていた」とブラッド・ホースにコメントしている[43]。
- ^ a b サンデーサイレンスには鞍上の騎手が不用意に鞭を振るうと怒り出すという性癖があった[44][45]。
- ^ スーパーダービーの優勝賞金は100万ドルであったが、同競馬場オーナーのエドワード・デバルトロはサンデーサイレンスとイージーゴアの2頭を招待し、両馬が出走した場合は優勝賞金を200万ドルに上げるという計画を立てた。イージーゴアの調教師のクロード・マゴーヒーはこれに承諾してイージーゴアを出走登録したが最終的には出走させず、代わりとして8月にアメリカンダービーを優勝した僚馬のオウインスパイアリングを出走させた[46]。
- ^ サンデーサイレンスがアメリカの生産者から嫌われた要因の一つとして、同じヘイロー産駒のデヴィルズバッグの存在もあった[68]。
- ^ 内訳は、1990年はじめにアーサー・ハンコック3世に支払った250万ドル(持ち分の半分〈全体の4分の1〉の対価)と[72]、その後3人の所有者に支払った750万ドル(残りの4分の3の対価)、さらにウィッティンガムに対する補償(4頭分の生涯種付け権とシンジケート株の4分の3)[53]。
- ^ ウイルス性動脈炎のワクチン[15]。
- ^ 吉田照哉曰く、「最高の繁殖牝馬をすべて交配させた」という[88]。
- ^ ダンスパートナー、スペシャルウィークでGIを勝利した調教師の白井寿昭によると、牧場時代は華奢な体格で見栄えのしなかったダンスパートナーを見た人間から「あの馬のどこがいいんですか」と尋ねられたことがあったという[89]。
- ^ なお、中央競馬における従来の記録としてはライジングフレーム、ヒンドスタン、トニービンが3世代の産駒でリーディングサイアーを獲得している[91]。海外においてはセントサイモンとボールドルーラーが2世代のみでリーディングサイアーを獲得している。
- ^ なお地方競馬のリーディングサイアーランキングでは、2002年に6位となったのが最高記録。
- ^ a b 優勝していないのはNHKマイルカップ(デアリングハートの2着〈2005年〉が最高着順)、ジャパンカップダート(ゴールドアリュールの5着〈2002年〉が最高着順)、中山グランドジャンプ(マキシマムプレイズの13着〈2002年〉が最高着順)、中山大障害(ウインマーベラスの2着〈2004年〉が最高)の4レース。
- ^ アメリカにおいてはギャラントフォックス(1930年)・オマハ(1935年)の父子が親子三冠を達成したものの、両馬共にデビュー戦で敗れているため、親子での無敗での三冠は史上初の記録である[95]。
- ^ 孫の代からも2011年にステイゴールド産駒のオルフェーヴルが牡馬三冠を達成し[93]、その後ディープインパクトが2012年に牝馬三冠を達成したジェンティルドンナ[94]、2020年に自身と同じく無敗での牡馬三冠を達成したコントレイルを輩出し[† 29]、サンデーサイレンスに次いで史上二頭目となる牡牝双方での三冠馬輩出を果たしている。
- ^ 最高価格は2002年の第5回セールで落札されたトーセンダンス(ダンシングキイの2002)の約3億5000万円。高額落札馬および活躍馬の詳細についてはセレクトセールを参照。
- ^ ステイゴールド、ハットトリック、ハーツクライが各1勝。
- ^ 交配は秋〈南半球は春で繁殖シーズンにあたる〉に日本で行われた。
- ^ 上腕骨と中節骨をつなぐ腱の外側。
- ^ この時のサンデーサイレンスについてライターの後藤正俊は、「サンデーは、こうなったら自分は死ぬということをわかっていたんだと思う。あんなに潔い死に対する姿勢は、初めて見ました。彼は、自分でけじめをつけようとしていた。そんな馬もいるんです。改めて、馬の品性というものを感じました」と回想しており、社台スタリオンステーション広報担当の徳武英介によれば最後まで目はしっかりしていたというが、「もういいよ、と。正直言って、速く楽にしてやりたかった」と振り返っている[112]。
- ^ 競走馬時代にライバルとされたイージーゴアも双方に選出されている。アメリカ競馬殿堂入りは1997年に果たし、20世紀のアメリカ名馬100選では第34位であった。
- ^ 1995年から2007年までの13回[125]。2006年にノーザンテーストの11回を更新。
- ^ 13年連続(上記期間)[125]。2006年にノーザンテーストの11年連続を更新[126]。
- ^ 2749勝[125]。2004年1月11日にノーザンテーストの1749勝を更新[127]。
- ^ 795億7951万7000円[125]。
- ^ 311勝[125]。2001年2月11日にヒンドスタンの113勝を更新[128]。
- ^ 75勝。1999年10月31日にスペシャルウィークが天皇賞(秋)を勝ち、ブライアンズタイムの16勝を更新。
- ^ 2004年に328勝[125]。1999年に177勝を挙げ、ライジングフレームの176勝を更新。
- ^ 2003年に38勝[129]。1996年に17勝を挙げ、テスコボーイ、パーソロンの12勝を更新。
- ^ 2003年に10勝[125]、自身とパーソロン・ブライアンズタイム・オペラハウスの5勝を更新。
- ^ 2005年に92億2004万4000円を獲得[125]。1995年にノーザンテーストの21億4451万5000円を更新[91]。
- ^ 2004年5月8日、9日に15勝[125]。
- ^ 従来の世界最多記録はオーストラリアの種牡馬スモーキーアイズが1956年から1980年にかけて記録した2796勝[127]。
- ^ 2021年2月現在では、サウスヴィグラス(4699勝[130])、クロフネ(4212勝[131])、キングカメハメハ(4055勝[132])など4000勝を上回る種牡馬が登場している。
- ^ サイアーランキング、AEIは平地・障害の集計、それ以外は平地のみの集計。
- ^ これを明白に示す例として2010年の有馬記念を挙げ、このレースに出走した16頭中12頭がサンデーサイレンスを擁して大成功を収めた社台グループの生産馬であった[145]。加えてサンデーサイレンスの血を持っていない出走馬・社台グループ以外の生産馬はいずれも4頭だったため、これを吉沢は「テレビでいうならどの局にチャンネルを切り替えても、登場するのはドラマ、バラエティ、ニュース、天気予報に至るまで同じ人間ばかり、内容も分かり切ったものばかりというマンネリ競馬を作り出した」と例えている[145]。
- ^ 通算307勝、内GI26勝。武は通算でサンデーサイレンスの産駒に1115回騎乗しており、これは歴代騎手の中では最多である。次点は横山典弘の846回(133勝)[146]。
- ^ 武は現役時代のサンデーサイレンスのレースをビデオで見たことがあったためよれながら走る癖があることを知っていたといい、クリス・マッキャロンからは何度も振り落とされたことを直接聞いていたと述べている[150]。
- ^ 岡田はサンデーサイレンスに対する評価を改めたあと、所有する繁殖牝馬とサンデーサイレンスを交配させるようになった。また、2000年のセレクトセールにおいて3億2000万円でサンデーサイレンス産駒の当歳馬(のちのカーム)を購入した[159][160]。
- ^ このような配合牝馬の血統を「カビ臭いステイヤー血統」「欧州の馬場に合うヘビーなステイヤー血統」と称している[171]。
- ^ ダンスインザダークがニジンスキー、スペシャルウィークがマルゼンスキー。
- ^ 同馬の母の父ホーンビームは長距離での競馬で一世を風靡したハイペリオン系に属し、3000メートル以上のレースを得意としていた血統だった[171]。
- ^ ダンスインザダークの母系においては、3代父のキートゥザミントがスタミナと成長力に定評があった[173]。
- ^ スペシャルウィークの母系は、遡ると1907年に小岩井農場がイギリス、アイルランドから輸入した繁殖牝馬の一頭であるフロリースカップに行きつく[174]。ライターの安井陽は「スペシャルウィークはSS産駒のダービー制覇だけでなく、古い牝系の復活というべきで記憶されるべきかもしれない」と述べ、サンデーサイレンスについては「こんな古臭い血統に活力を与えるとは、恐るべし、という以外に言葉が見つからない」と評している[174]。
- ^ 吉沢は同馬の母・ウインドインハーヘアの欧州の一流馬が名を連ねるその血統について、自動車に例えて「イギリス伝統の最高級車ロールス・ロイスと、ドイツの最高級車メルセデス・ベンツをミックスしたような血統である」と述べ、「この最高級車の母系も近年は、使い込んでいくらかエンジンの性能が落ち、ボディも傷んでひところの輝きを失っていた。そこにサンデーサイレンスという蘇生効果を持った血が注入され、新品同様の最高級車に蘇ったのがディープインパクトなのである」と評している[175]。
- ^ この組み合わせは重賞勝ち馬を複数出すもののGI級競走馬を出せない状態が長らく続き、大物が生まれない配合だとみられていた時期もあった[179]。
- ^ 母父ニジンスキーの3頭のGI馬は、すべてダンシングキイの産駒(ダンスパートナー、ダンスインザダーク、ダンスインザムード)である。
- ^ トゥザヴィクトリー、ゴールドアリュール、フサイチパンドラの3頭。
- ^ アドマイヤベガ、アドマイヤグルーヴ、ハーツクライの3頭。
- ^ ヒサトモ、クリフジ、ワカタカ、イエリユウ、クモハタ、トクマサの6頭。
- ^ ディープブリランテ、キズナ、マカヒキ、ワグネリアン、ロジャーバローズ、コントレイル、シャフリヤールの7頭。
- ^ このインタビューの2年後にはビリーヴがスプリンターズステークスを優勝し、橋田も2007年には管理馬のスズカフェニックスで高松宮記念を優勝している。
- ^ 2000年に中央競馬へ移籍。
出典
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固有名詞の分類
サラブレッド | アクティブバイオ ミッドナイトリュート サンデーサイレンス ギャラントダンサー アドマイヤホープ |
アメリカ合衆国生産の競走馬 | ラフンタンブル ミッドナイトリュート サンデーサイレンス ギャラントダンサー フリゼット |
アメリカ合衆国調教の競走馬 | ラフンタンブル ミッドナイトリュート サンデーサイレンス フリゼット アフェクショネイトリー |
1986年生 (競走馬) | ホクトビーナス ホークスター サンデーサイレンス ケンドール アクチブハトリ |
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