珊瑚海海戦
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MO作戦まで
1941年(昭和16年)9月、太平洋戦争開戦前におこなわれた連合艦隊の図上演習において、中部太平洋のカロリン諸島トラック泊地を根拠地とする日本海軍の第四艦隊(司令長官井上成美中将)は、「ラバウル攻略後はラエやサラモアなどニューギニア島東部へ進出すべし」と主張した[8]。10月の図上演習でも第四艦隊は「ラバウル確保のため、さらに前方の要地を攻略すべし」と主張した[8]。連合艦隊(司令長官山本五十六大将、参謀長宇垣纏少将など)はラバウル進出後の戦略や同方面作戦について具体的に研究していなかった[8]。軍令部はオーストラリア委任統治領パプアニューギニアの要港ポートモレスビーやツラギ島を第一線とすべきと考えていたが、やはり具体的な研究はしていなかった[8]。
英連邦オーストラリアは、海外に精鋭を派遣していたため、本土防衛力に不安があったが、戦略的に見て同国は南西連合軍の後方基地であり、日本軍がジャワ島まで到達した場合、重要拠点となり、緒戦で艦隊主力を失った米軍も残された対日反攻拠点として重視していたので戦略的価値が高まり、米国と協同して領土防衛、米豪連絡路の確保に努めた[9]。また日本軍の大本営海軍部も、オーストラリアの戦略的価値急増にともない、戦争終結促進のためオーストラリアを英連邦から脱落させることを模索しはじめた[10]。そのためオーストラリア北部と北東部の要地を攻略し、米豪連絡路の遮断・同方面の敵海上兵力撃滅を検討した[10]。大本営陸軍部は「オーストラリア全土の占領は不可能である」と判断して海軍案に反対したが、南方要域防衛の観点から、オーストラリア北部を押さえる必要性は認めていた[11]。種々折衝の末、陸軍も海軍側の米豪連絡路の要地攻略案に賛成[11]。ここに、日本陸軍もポートモレスビー攻略に加わることになった[11]。
1942年(昭和17年)1月23日、第四艦隊を基幹とする南洋部隊(指揮官井上成美第四艦隊司令長官)は、ニューブリテン島のラバウルとニューアイルランド島のカビエンを占領した(ラバウル空襲)[12]。南洋部隊はラバウルの航空基地化を促進した[12]。ラバウル占領後、南洋部隊はニューブリテン島各地を占領して航空基地を設営し、またニューギニア島東部の連合軍飛行場に空襲を行った[13]。
MO作戦の準備
1942年(昭和17年)1月29日、軍令部は大海指47号で連合艦隊に対し「聯合艦隊司令長官ハ別紙中央協定ニ準拠シ英領「ニューギニア」及「ソロモン」群島ニ対スル作戦ヲ実施スベシ」と[8]、ラエ、サラモア、ツラギ、ポートモレスビーなどの攻略を指示し、さらに2月27日、ナウル、オーシャン両島の攻略が大海指第59号で指示された[5]。
南洋部隊(指揮官井上成美海軍中将/第四艦隊司令長官)はこれに基づき、3月にラエ、サラモア、4月にツラギ、ポートモレスビーを攻略するように計画した[5][8]。計画は、まず日本陸軍と海軍が協同でニューギニア島東部(パプアニューギニア)のラエとサラモアを攻略し[8]、ラエとサラモア占領後、オーストラリアをアメリカから遮断し孤立させる戦略構想(「米豪遮断作戦」)の一環として、ニューギニア島南東岸にあるポートモレスビーを奇襲攻略することを決定した(「MO作戦」あるいは「モ号作戦」)[8][14]。 ニューギニア島は中央部を東西に山脈が走っているため、北岸からの陸路での攻略には困難が予想され、海路から攻略を行う方針が決まった。 同時に日本海軍単独でソロモン諸島のツラギ島を占領し、同島に水上機基地を設営して珊瑚海の警戒を行うことが決定された[8]。この作戦における海軍の主任務は、陸軍歩兵第一四四連隊、海軍呉特別陸戦隊をのせた11隻の輸送船の護衛である[15]。
3月8日、南洋部隊は第六水雷戦隊(旗艦夕張)を主力とする攻略部隊で、ラエとサラモアを攻略・占領する[13]。直後の3月10日朝、空母レキシントンとヨークタウンを基幹とする米軍機動部隊がラエとサラモアに航空攻撃を敢行、日本軍は所在艦船18隻中、艦船4隻沈没、中破小破14隻、戦死130名という損害を出した[13][16]。この攻撃による損害に不安を感じた陸軍南海支隊長堀井富太郎陸軍少将は軽空母祥鳳が輸送船団護衛につくだけではアメリカ軍機動部隊出現時に対処できないと判断し、3月20日の電文で有力な日本軍機動部隊の増派を求めた[17]。
ラエ、サラモアの攻略に成功した直後、反撃を受け艦船に大きな損害を出したため、南洋部隊は損傷艦艇修理と整備のため、ポートモレスビー攻略作戦を一ヶ月延期して5月下旬実施予定とした[5][18]。ポートモレスビー作戦実施にむけ準備を進める南洋部隊に対し、連合艦隊はミッドウェー島攻略作戦を検討し、4月5日には軍令部もミッドウェー作戦(MI作戦)の採用に至った[18][19]。連合艦隊は5月上旬にポートモレスビーを攻略し、6月上旬にミッドウェーを攻略、7月上旬にFS作戦(フィジー、ニューカレドニア作戦)を実施、10月を目途にハワイ攻略作戦の準備を進めることにした[18]。
4月10日、連合艦隊は麾下艦隊・部隊に対し、第二段作戦第一期兵力部署への転換を命じた[20]。当初案では、南洋部隊に編入されポートモレスビー攻略作戦に参加するのは空母加賀(当時、内地で整備中)であった[5][20]。しかし現地指揮官から空母増勢の要求があり、連合艦隊と第四艦隊の交渉の結果[5]、加賀から第五航空戦隊(瑞鶴、翔鶴)に差し替えられた[20]。 発令された兵力部署により、南洋部隊(指揮官は井上成美第四艦隊司令長官)は第四艦隊(鹿島、第十九戦隊など)、第六戦隊(第1小隊〈青葉、加古〉、第2小隊〈衣笠、古鷹〉)、第五戦隊(妙高、羽黒)、第五航空戦隊(瑞鶴、翔鶴)、駆逐隊2(第7駆逐隊〈潮、曙、漣〉、第27駆逐隊〈時雨、白露、有明、夕暮〉)、空母祥鳳(第四航空戦隊)、水上機母艦瑞穂等となる[20]。このうち、第五戦隊、五航戦、第7駆逐隊・第27駆逐隊がポートモレスビー作戦にともなう増強戦力である[5]。 五航戦は1941年(昭和16年)9月に編制されたばかりで練度も劣っていたため、実戦経験を積ませる目的があったという[20]。当時、第五航空戦隊(司令官原忠一少将:空母瑞鶴〈旗艦〉、翔鶴)は南雲機動部隊(指揮官南雲忠一第一航空艦隊司令長官)に所属してセイロン沖海戦参加、作戦を終えて日本へ帰還中だった[20]。
連合艦隊と大本営海軍部は「ポートモレスビーは5月10日までに攻略する」方針を固めていた[21]。そのため、ミッドウェー、アリューシャン作戦(AL作戦)に同部隊の戦力が転用されることからツラギ、ポートモレスビー攻略は5月上旬とさらに変更された[5]。
第五航空戦隊は4月25日にトラック島に到着した[22]。井上成美第四艦隊司令長官は「MO機動部隊は、有力なる敵海上部隊の所在判明せざる場合は、なるべく速やかに、タウンズビル方面の敵飛行場を急襲、所在航空兵力を撃滅すべし」と命令した[23]。これはMO機動部隊が制海権のない珊瑚海に10日もとどまり、敵艦隊攻撃から敵航空基地撃滅まであらゆる任務に投入されることを意味し、連合艦隊司令部は「MO機動部隊の作戦に関し、同隊は敵の機動部隊に対する作戦を第一義とし、豪州要地の空襲については、同隊の兵力並びに豪州北方海域の情況等に鑑み、とくに慎重を用されたし。なお敵陸上基地航空兵力の撃滅には、所要の基地航空隊を集中作戦する如く取り計らわれたし」と第四艦隊の命令を取り消している[24]。井上中将は「第五航空戦隊は、珊瑚海方面に敵が出現した場合にのみこれを撃滅せよ」と命令を訂正した[25]。
南洋部隊の作戦計画では、まず第十九戦隊がソロモン諸島のツラギ島を占領後して水上機基地を設置、ポートモレスビー攻略船団は水上機の掩護下に進撃する[5]。第十九戦隊はナウルとオーシャン攻略に参加、MO主隊は第十九戦隊を支援したあと西進して南海支隊を支援、MO機動部隊はアメリカ軍攻撃に備えて待機、5月10日にポートモレスビーを攻略するという複雑な予定であった[26]。また連合艦隊はラバウル方面の第二十五航空戦隊に対し、南洋部隊の作戦に協力するよう命じた[5]。第二十五航空戦隊は第11航空艦隊(司令長官塚原二四三海軍中将)の麾下にあり、南洋部隊(井上第四艦隊司令長官)とは指揮系統が違う[20]。日本軍の戦力分散と作戦の複雑さについては、戦闘詳報や米海軍大学校も、日本軍苦戦の一因になったと指摘している[27]。また軽空母祥鳳は4月18日のドーリットル日本本土空襲でアメリカ軍機動部隊迎撃に出動し、それから急遽南下してトラック泊地に進出している。MO攻略部隊・MO機動部隊ともに「間に合わせ部隊」であり、事前の打ち合わせ・訓練もほとんど行っていなかった[28]。
連合国の準備
連合国軍は、米豪連絡路の確保、南太平洋進出阻止を重視し、南太平洋方面に主として米陸海軍兵力を急速増強していたが、日本海軍の暗号を解読し、軽空母祥鳳と大型空母2隻を含む攻撃部隊に護衛された輸送船団が珊瑚海に進出することを知った[4]。
この情報を得たアメリカ海軍は、第11任務部隊(空母レキシントン基幹)と第17任務部隊(ヨークタウン基幹)を邀撃のために派遣した[4][29]。またドーリットル空襲を敢行した空母2隻(ホーネット、エンタープライズ)も、真珠湾で補給を終えた後に珊瑚海へ派遣した(海戦には間に合わず)[4][30]。
ツラギ攻略
1942年(昭和17年)4月30日、ツラギ攻略部隊の第十九戦隊(司令官志摩清英少将、旗艦:敷設艦沖島)がラバウルを出発した。5月3日[31]、第十九戦隊は軽空母祥鳳と特設水上機母艦神川丸艦載機支援のもとフロリダ諸島(ツラギ島、ガブツ島、タナンボコ島)に上陸したが、連合国軍は殆ど撤収しており、小競り合いが起きた程度で日本軍の上陸作戦は成功した[32]。日本軍は水上機基地の設営を開始、同日夕方までに設営を完了した[33]。MO作戦第一段階完了にともない、第十八戦隊(司令官丸茂邦則少将、軽巡洋艦天龍、龍田)、五藤少将の第六戦隊は次々に反転、ブカ島クインカロラで補給の後、南海支隊と合流することになっていた[34]。
MO機動部隊は5月1日、トラック諸島を出航した[35]。同日には第四艦隊旗艦鹿島と座乗した井上ら第四艦隊司令部がトラック諸島からラバウルへ向かった。機動部隊司令官は高木武雄少将で、原忠一少将は第五航空戦隊司令官として高木の指揮下にある[36]。第五航空戦隊の航空戦力は空母1隻につき零式艦上戦闘機18、九九式艦上爆撃機18、九七式艦上攻撃機18、第五戦隊(妙高、羽黒)は各艦零式水上偵察機1機、九五式水上偵察機2機を搭載している[37]。MO機動部隊はラバウルに第二十五航空戦隊の零戦9機を輸送するため寄り道したが、悪天候により2度にわたり引き返したため、5月3日に輸送の中止を決定した[38]。
MO攻略部隊には軽空母祥鳳(零式艦上戦闘機10→5/2事故で9機、九六式艦上戦闘機4、九七式艦上攻撃機6)が護衛についていたが、作戦会議で公然と反対した杉山利一(祥鳳飛行長)のように多くの者が軽空母1隻の護衛には限界があると感じていた[39]。もっとも、日本軍は空母レキシントンを既に撃沈したか本国修理中であると推定しており[40][41]、仮に珊瑚海に米空母が出現するとしても空母サラトガ1隻と判断している[42]。鹿島に座乗した井上ら第四艦隊司令部は4日にラバウルへ到着した。以後井上はラバウルの鹿島艦上からMO攻略部隊・MO機動部隊・援護部隊・ポートモレスビー攻略部隊を指揮した。
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- ^ 城英一郎日記 1982, p. 156a(昭和17年5月8日記事)(中略)一六三〇、軍令部総長、戦況〔奏上〕。サンゴ海々戦の判明せる戦果、カリフォルニア型一隻撃沈、ウォースパイト型一隻大(中)破、キャンベラ型重巡一大破、油槽船一大破、d×1撃沈(七日の戦果)。Saratoga型一、Yorktown型一撃沈(八日の戦果)。我被害、「祥鳳」敵空襲により沈没、「翔鶴」〔大型空母〕敵空襲により小破。flo/25sf自爆二、未帰還二、(航空機)/5Sf、fb×1、fo×8。午後、サンゴ海々戦参加の我兵力につき、御下問あり。
- ^ 千早正隆『日本海軍の驕り症候群 下』中公文庫81頁
- ^ 福留繁 1971, p. 213(備考)5月12日大本営発表。米空母サラトガ型1隻撃沈、ヨークタウン型1隻撃沈、米戦艦カルフォルニア型1隻轟沈、英戦艦ウォスパイト型1隻大破、英甲巡キャンベラ型1隻大破、巡洋艦(艦型不詳)1隻大破、駆逐艦1隻轟沈、給油艦1隻大破、飛行機98機撃墜。
- ^ a b c 戦史叢書80巻373-374頁「大本營発表と勅語」
- ^ 豊田副武 2017, p. 121-126偽れる軍艦マーチ
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- ^ #ヨークタウン146頁
- ^ #暁の珊瑚海(文庫)519頁
- ^ 城英一郎日記 1982, p. 157(昭和17年5月12日記事)一五三〇、軍令部総長、戦況〔奏上〕。次で一五四五、サンゴ海々戦につきGF航空部隊に御嘉尚の勅語を賜ふ。「沖島」〔敷設艦〕「ツラギ」にて損傷、「ブカ」島附近迄航行せるも遂に沈没。
- ^ #MO機動部隊詳報(3)p.15-16,52
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- ^ a b 戦史叢書80巻381-382「特殊潜航艇の攻撃」
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- ^ #暁の珊瑚海(文庫)523-524頁
- ^ a b c 戦史叢書80巻424-428頁「出撃直前の研究と作戦計画等の修正」
- ^ 千早正隆『日本海軍の驕り症候群 下』中公文庫82頁
- ^ 戦史叢書80巻374頁
- ^ 生出寿『凡将 山本五十六』徳間文庫
- ^ 戦史叢書43 ミッドウェー海戦114頁、千早正隆『日本海軍の驕り症候群 下』中公文庫101-102頁
- ^ a b c d e 戦史叢書80巻429-431頁「楽観的気運の増大」
- ^ a b #勝つ戦略負ける戦略p.92
- ^ 「週報 第293号」p.2
- ^ 福留繁 1971, p. 214勝敗如何
- ^ 福留繁 1971, pp. 210–211珊瑚海海戦の意義/新しい型の海上決戦
- ^ ニミッツ、ポッター P.60
- ^ 千早正隆『日本海軍の驕り症候群 下』中公文庫76-79頁
- ^ #暁の珊瑚海(文庫)510-513頁
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- ^ #勝つ戦略負ける戦略p.94。井上成美談。
- ^ #暁の珊瑚海(文庫)504-505頁
- ^ 虚構戦記研究読本北村賢志 69頁
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