ツラギ攻略とは? わかりやすく解説

ツラギ攻略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:18 UTC 版)

珊瑚海海戦」の記事における「ツラギ攻略」の解説

1942年昭和17年4月30日、ツラギ攻略部隊第十戦隊司令官志摩清英少将旗艦:敷設艦沖島)がラバウル出発した5月3日第十戦隊軽空母祥鳳特設水上機母艦神川丸艦載機支援のもとフロリダ諸島ツラギ島、ガブツ島、タナンボコ島)に上陸したが、連合国軍は殆ど撤収しており、小競り合い起きた程度日本軍の上陸作戦成功した日本軍水上機基地設営開始同日夕方までに設営完了したMO作戦第一段階完了にともない第十八戦隊司令官丸茂邦則少将軽巡洋艦天龍龍田)、五藤少将第六戦隊次々反転ブカ島クインカロラで補給の後、南海支隊合流することになっていた。 MO機動部隊5月1日トラック諸島出航した同日には第四艦隊旗艦鹿島座乗した井上第四艦隊司令部トラック諸島からラバウル向かった機動部隊司令官高木武雄少将で、原忠一少将第五航空戦隊司令官として高木指揮下にある。第五航空戦隊航空戦力空母1隻につき零式艦上戦闘機18九九式艦上爆撃機18九七式艦上攻撃機18第五戦隊妙高羽黒)は各艦零式水上偵察機1機、九五式水上偵察機2機を搭載している。MO機動部隊ラバウル第二十五航空戦隊の零戦9機を輸送するため寄り道したが、悪天候により2度にわたり引き返したため、5月3日輸送中止決定したMO攻略部隊には軽空母祥鳳零式艦上戦闘機10→5/2事故で9機、九六式艦上戦闘機4、九七式艦上攻撃機6)が護衛についていたが、作戦会議公然と反対した杉山利一祥鳳飛行長)のように多くの者が軽空母1隻の護衛には限界があると感じていた。もっとも、日本軍空母レキシントンを既に撃沈した本国修理中であると推定しており、仮に珊瑚海米空母出現するとしても空母サラトガ1隻と判断している。鹿島座乗した井上第四艦隊司令部4日ラバウル到着した以後井上ラバウル鹿島艦上からMO攻略部隊MO機動部隊援護部隊ポートモレスビー攻略部隊指揮した

※この「ツラギ攻略」の解説は、「珊瑚海海戦」の解説の一部です。
「ツラギ攻略」を含む「珊瑚海海戦」の記事については、「珊瑚海海戦」の概要を参照ください。

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