一木支隊のトラック泊地出撃
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「イル川渡河戦」の記事における「一木支隊のトラック泊地出撃」の解説
8月16日午前5時、「キ」号作戦増援部隊の挺身隊(第4駆逐隊司令有賀幸作大佐指揮)陽炎型駆逐艦6隻(旗艦/嵐、萩風、浦風、谷風、浜風、陽炎)は一木大佐以下先遣隊916名を各艦約150名ほど収容し、トラック泊地を出撃した。一木支隊長は有賀大佐の駆逐艦「嵐」に乗艦した。なお速射砲部隊をふくむ一木支隊大部分約1500名は輸送船2隻(ぼすとん丸、大福丸)に分乗し、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将(旗艦神通)指揮下の軽快艦船(神通、哨戒艇2隻)に護衛され、挺身隊と同時にトラック泊地を出撃した。挺身隊の速力は22ノット、輸送船団は8.5ノットであった。第24駆逐隊(海風、江風、涼風)と横五特(司令安田義達大佐以下616名)を乗せた輸送船金龍丸および哨戒艇2隻(旧島風、旧灘風)は18日から19日にかけて第二梯団と合流した。同16日、天皇は侍従武官よりガ島奪回作戦の上陸予定について報告を受けた。 挺身隊(一木支隊先遣隊)がガ島へ向け航行中の8月16日深夜、横五特のガ島派遣隊113名は駆逐艦追風に乗艦してガダルカナル島に到達し、同島タサファロング(ガ島北西部、ルンガ岬より西方17km地点)西方4km地点に上陸した。高橋達之助大尉以下増援陸戦隊はタサファロングより東進し、夕刻までにマタニカウ河西方に本部をおくガ島守備隊(部隊長の掌握していた守備隊員100名、設営隊328名)との連絡に成功した。ガ島守備隊からの情報により、日本軍守備隊の拠点は飛行場西方マタニカウ河西岸にあること(一木支隊先遣隊の上陸するタイボ岬は飛行場東側)、連合軍ガ島上陸部隊は2000名ほどでツラギ諸島へ脱出しつつあるが高射砲・戦車若干を有することが判明し、一木支隊長にも伝えられた。8月17日午前10時30分、挺身隊(一木支隊先遣隊)は赤道を通過、このときソ連駐在武官発の「米軍はガ島からの脱出に腐心している」との情報が伝えられた。一木支隊将兵はやや落胆したという。一木支隊長は「大急ぎで行かなければ敵は逃げてしまう」と心配した。一木支隊先遣隊(さらに一木支隊後続部隊や海軍陸戦隊も加われば)による飛行場奪回は容易との判断は、大本営のみならず現地陸海軍の共通認識であった。 8月18日、第十七軍は川口支隊のガ島派遣について現地陸海軍協定を結んだ。この中には「海軍航空部隊ヲ「ガダルカナル」島ニ推進シタル後 成ル可ク速ニ海陸協同シテ「ツラギ」及附近島嶼ヲ奪回ス」「(川口支隊上陸日=V日を8月28日とする)六 航空作戦ニ関スル事項 (イ)V-1日〈27日〉迄ニ戦闘機隊ノ一部ヲ「ガダルカナル」島ニ進出ス/(ロ)「ガダルカナル」島基地造成次第陸攻隊ノ一部ヲ「ガダルカナル」島ニ進出シ「ツラギ」攻略ニ協力ス/(ハ)V-1日ヨリV+1日迄船団前程哨戒ヲ実施ス」とあり、川口支隊上陸計画は一木支隊が飛行場を占領していることが前提になっていた。第十七軍が一木支隊の飛行場奪回について楽観視していたことがうかがえる。同18日夜、挺身隊はマライタ島を見ながら南下した。2300、挺身隊駆逐艦6隻に乗船した一木支隊先遣隊(第1梯団、916名)は、食料7日分と携帯弾薬各自250発を携行してガダルカナル島ルンガ岬の約35km東にある同島タイボ岬に上陸、集結を完了した。上陸後、一木大佐は後続部隊の来着を待つことなく、先遣隊のみでの飛行場攻撃を決意した。8月19日0000をもって前進を開始する。約100名の兵を後方の守備に充て、残り約800名を率いていた。移動は夜間機動で、昼間は休憩にあてた。19日の日没前にはルンガ防衛線からおよそ14km東の地点まで到達した。一方ルンガの米海兵隊は、偵察部隊が飛行場西方のマタニカウ河で日本軍ガ島守備隊と交戦状態にあった。この時、コースト・ウォッチャーズ等から「日本軍の駆逐艦が飛行場の東35km地点で兵員を揚陸した」との情報を得た。米海兵隊は、状況をより正確に把握するため更なる情報収集に努めた。 なお第17駆逐隊3隻(浦風、谷風、浜風)はポートモレスビー作戦にともなうラビの戦いに従事するためすぐにラバウルへ向かった。3隻(嵐、萩風、陽炎)は上陸地点の警戒・敵脱出阻止のため同地に留まり、ツラギ泊地やルンガ岬に艦砲射撃を実施した。駆逐艦は一木支隊先遣隊と無線連絡をおこなう手筈だったが、先遣隊からの連絡は全くなかったという。午前中になるとエスピリトゥサント島から飛来したと思われるB-17爆撃機の空襲により被弾した「萩風」が大破、「嵐」と共にトラック泊地へ撤収、同方面に残る駆逐艦は「陽炎」1隻となった。「陽炎」のツラギ泊地砲撃後の報告は「本射撃直後敵兵満載ノ大発数隻算ヲ乱シテ遁走セント図リタル為之ヲ砲撃セル所右往左往スル状況及攻撃中何等応戦ノ気配ナキ点其ノ他敵(兵数不明)ノ行動一般ニ活發ナラザル点等ヨリ考察シ、敵ハ相当士気沮喪セルニ非ズヤト認メラル、続イテ「ホーン」岬二粁附近ヲ往復極力見張所ト連絡ヲ試ミタルモ応答ナシ」であった。同19日1542、一木支隊先遣隊の間接支援をおこなっていた外南洋部隊支援部隊(青葉、衣笠、古鷹、夕凪)はサンタイサベル島北部のレカタに入泊し、臨時の水上基地を設置した。同日夜、外南洋部隊主隊(重巡洋艦鳥海、駆逐艦磯風)はラバウルを出撃、20日1000時点でブカ島北東50浬地点にあった。
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