一木支隊のトラック泊地出撃とは? わかりやすく解説

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一木支隊のトラック泊地出撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:22 UTC 版)

イル川渡河戦」の記事における「一木支隊のトラック泊地出撃」の解説

8月16日午前5時、「キ」号作戦増援部隊挺身隊(第4駆逐隊司令有賀幸作大佐指揮陽炎型駆逐艦6隻(旗艦/嵐、萩風浦風谷風浜風陽炎)は一木大佐以下先遣隊916名を各艦約150名ほど収容しトラック泊地出撃した。一木支隊長は有賀大佐駆逐艦「嵐」に乗艦した。なお速射砲部隊をふくむ一木支隊大部分1500名は輸送船2隻(ぼすとん丸、大福丸)に分乗し第二水雷戦隊司令官田中頼三少将旗艦神通指揮下の軽快艦船神通哨戒艇2隻)に護衛され挺身隊同時にトラック泊地出撃した。挺身隊速力22ノット輸送船団8.5ノットであった。第24駆逐隊海風江風涼風)と横五特(司令安田義達大佐以下616名)を乗せた輸送船金龍丸および哨戒艇2隻(旧島風、旧灘風)は18日から19日にかけて第二梯団合流した。同16日天皇侍従武官よりガ島奪回作戦の上予定について報告受けた挺身隊一木支隊先遣隊)がガ島へ向け航行中8月16日深夜、横五特のガ島派遣隊113名は駆逐艦追風乗艦してガダルカナル島到達し、同島タサファロング(ガ島北西部ルンガ岬より西方17km地点西方4km地点上陸した高橋達之助大尉以下増援陸戦隊はタサファロングより東進し夕刻までにマタニカウ河西方に本部をおくガ島守備隊部隊長掌握していた守備隊100名、設営隊328名)との連絡成功したガ島守備隊からの情報により、日本軍守備隊拠点飛行場西方マタニカウ河西岸にあること(一木支隊先遣隊の上陸するタイボ岬は飛行場東側)、連合軍ガ島上陸部隊2000名ほどでツラギ諸島脱出しつつあるが高射砲戦車若干有することが判明し一木支隊長にも伝えられた。8月17日午前10時30分挺身隊一木支隊先遣隊)は赤道通過、このときソ連駐在武官発の「米軍ガ島からの脱出腐心している」との情報伝えられた。一木支隊将兵はやや落胆したという。一木支隊長は「大急ぎで行かなければ敵は逃げてしまう」と心配した一木支隊先遣隊(さらに一木支隊後続部隊海軍陸戦隊加われば)による飛行場奪回は容易との判断は、大本営のみならず現地陸海軍共通認識であった8月18日第十七軍は川口支隊ガ島派遣について現地陸海軍協定結んだこの中には「海軍航空部隊ヲ「ガダルカナル」島ニ推進シタル後 成ル可ク速ニ海陸協同シテツラギ」及附近島嶼奪回ス」「(川口支隊上陸日=V日を8月28日とする)六 航空作戦ニ関スル事項 (イ)V-1日〈27日〉迄ニ戦闘機隊ノ一部ヲ「ガダルカナル」島ニ進出ス/(ロ)「ガダルカナル」島基地造成次第陸攻隊ノ一部ヲ「ガダルカナル」島ニ進出シ「ツラギ攻略協力ス/(ハ)V-1ヨリ+1日迄船団前程哨戒実施ス」とあり、川口支隊上陸計画一木支隊飛行場占領していることが前提になっていた。第十七軍が一木支隊飛行場奪回について楽観視していたことがうかがえる。同18日夜、挺身隊マライタ島を見ながら南下した2300挺身隊駆逐艦6隻に乗船した一木支隊先遣隊第1梯団、916名)は、食料7日分と携帯弾薬各自250発を携行してガダルカナル島ルンガ岬の約35km東にある同島タイボ岬に上陸集結完了した上陸後一木大佐後続部隊来着を待つことなく先遣隊のみでの飛行場攻撃決意した8月19日0000をもって前進開始する。約100名の兵を後方守備充て残り800名を率いていた。移動夜間機動で、昼間休憩にあてた。19日日没前にはルンガ防衛線からおよそ14km東の地点まで到達した一方ルンガの米海兵隊は、偵察部隊飛行場西方マタニカウ河で日本軍ガ島守備隊交戦状態にあった。この時、コースト・ウォッチャーズ等から「日本軍駆逐艦飛行場の東35km地点兵員揚陸した」との情報得た米海兵隊は、状況をより正確に把握するため更なる情報収集努めた。 なお第17駆逐隊3隻(浦風谷風浜風)はポートモレスビー作戦にともなうラビの戦い従事するためすぐにラバウル向かった。3隻(嵐、萩風陽炎)は上陸地点警戒・敵脱出阻止のため同地留まりツラギ泊地ルンガ岬艦砲射撃実施した駆逐艦一木支隊先遣隊無線連絡をおこなう手筈だったが、先遣隊からの連絡全くなかったという。午前中になるとエスピリトゥサント島から飛来したと思われるB-17爆撃機空襲により被弾した「萩風」が大破、「嵐」と共にトラック泊地撤収、同方面に残る駆逐艦は「陽炎」1隻となった。「陽炎」のツラギ泊地砲撃後の報告は「本射撃直後敵兵満載大発数隻算ヲ乱シテ遁走セント図リタル為之ヲ砲撃セル右往左往スル状況攻撃何等応戦気配ナキ点其ノ他敵(兵数不明)ノ行動一般ニ活發ナラザル点等ヨリ考察シ、敵ハ相当士気沮喪セルニ非ズヤト認メラル、続イテホーン」岬二粁附近往復極力見張所ト連絡ヲ試ミタルモ応答ナシであった。同19日1542、一木支隊先遣隊の間接支援をおこなっていた外南洋部隊支援部隊青葉衣笠古鷹夕凪)はサンタイサベル島北部のレカタに入泊し臨時水上基地設置した同日夜、外南洋部隊主隊(重巡洋艦鳥海駆逐艦磯風)はラバウル出撃20日1000時点ブカ島北東50地点にあった

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