一期限りの退任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/24 22:42 UTC 版)
工藤は再選を目指したが、病気のため一期で引退を余儀なくされた。なお、後継知事は小沢一郎が擁立した元建設官僚・増田寛也が全国最年少で当選した。 増田に知事室を引き渡す際に、工藤が「県立大構想だけはよろしく頼む」と頼んだというエピソードが残っており、工藤の教育に対する思いの強さがうかがえる。 1994年、勲二等旭日重光章受章。 1998年8月25日、呼吸不全のため死去。76歳没。
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