神葬祭とは? わかりやすく解説

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しんそう‐さい〔シンサウ‐〕【神葬祭】

読み方:しんそうさい

神道様式行われる葬儀神葬


しんそうさい 【神葬祭】

神道式の葬式祭祀仏葬儒葬対する名称。神道では死を穢とみるが、霊魂浄化すれば祖霊として神にまつられるとする。それで遺体埋葬前に霊祭行い霊璽位牌)に霊魂を移らせ、一年後忌明け祖霊合祀する現行の神葬近世後期神道家仏葬対抗して考案したものだが、先駆徳川光圀が『神道集成』に神葬祭の儀式編入していた。明治維新の排仏運動時には普及強行されたが、永続はしなかった。

【神式】神葬祭(通夜祭・葬場祭)

神葬祭(通夜祭)

【神式】神葬祭(通夜祭・葬場祭)神道における神式行われる全ての弔い儀式では、神社では行わず自宅又は集会所葬儀会場などを借り神社神官招いて営まれます。
神道では仏教における通夜を「通夜祭」といい、通夜では通夜祭併せて「遷霊祭」という御霊移し(霊璽[れいじ]に故人御霊を移す)の儀式が行われます
神官献饌(神様食べ物お供えする)を行い祭詞をそえて玉串奉奠行った後に、参列一同喪主から順に玉串奉奠行います
玉串奉奠の際や神官合わせて礼や拍手行いますが、神葬祭における拍手は「偲び手」といって音を立てないのがしきたりです。
通夜葬儀両方参列する場合弔慰金品は、通夜持参するのが一般的です。

通夜振る舞い(直会[なおらい])

通夜の後に、故人への供養あわせて通夜弔問へのお礼兼ねて簡単な飲食物用意されることを通夜振る舞い(神道では「直会[なおらい]」ともいう)と言い、軽い酒食類が一般的ですが、お茶菓子程度などの場合もあり地区によって用意されるものは異なります
会食すすめられたら、遺族心遣い応えるためにも余程の事情がない限り出席して生前故人在りし日語りあうのが習わしですが、長居返ってご迷惑なりますので頃合い見計らって失礼するのが礼儀です。
神官にも通夜振る舞いすすめますが、辞退されたときは「お車代」にあわせて御膳料」を包んで手渡します

夜伽(よとぎ)

通夜祭から翌日葬場祭当日死者葬るまでの間、近親者祭壇安置されている故人のそばで、夜を徹して交替ローソク絶やさないようにして守ることを夜伽と言います。これは元々、家族・親族縁者・親し知人友人などが、葬るまでに故人蘇生することを願って夜通しそばに付き添っていたことに由来します。

神葬祭(葬場祭)

通夜祭同様に葬場祭儀式神社では行わず自宅又は集会所葬儀会場などを借りて招いた神社神官により営まれます。通夜祭以降葬祭として、葬場祭出棺祭・火葬祭帰家祭の順に一連の儀式執り行われた後は、故人霊魂祖先の霊とともに家に留まり一家守護神として祀られます。儀式においては玉串奉奠神官に合わる拝礼拍手行いますが、神葬祭における拍手は「偲び手」といって音を立てないのがしきたりです。
神式では仏式違って僧侶替わって神官儀式執り行い焼香替わって玉串奉奠が行われ、弔慰金表書き(献辞)などにも違い見られますが、通夜から葬儀に至る一連の儀式の流れ大きな違いはなく、喪家対す弔意挨拶仏式と特に違いはありません。
尚、神式において数珠用いませんので、数珠持参の必要ありません。

ひとくちMEMO

ご贈答のマナー

贈答様式 贈り 献辞表書き 慶弔用品
通夜祭通夜時の
神社神官への謝礼
遺族 御車 金封水引熨斗なし
のし袋白無
葬場祭葬儀時の
神社神官への謝礼
遺族 御祭祀料
御祈祷料
御神饌料
御礼
金封
双銀結切り/双銀あわび結び
黄白結切り/黄白あわび結び
水引熨斗なし
のし袋白無
葬場祭時の神官への
謝礼に付け
御膳料
御車
のし袋白無
葬儀委員長
世話役への謝礼
遺族 御礼 金封水引熨斗なし
のし袋白無
受付係お手伝い
の方への謝礼
遺族 御礼 金封水引熨斗なし
のし袋白無
会食参加されない
受付係お手伝い
方への謝礼に付け
遺族 御膳料御礼 金封水引熨斗なし
のし袋白無
葬場祭弔慰金を贈る 身内
身内以外
御霊前
玉串料
金封
双銀結切り/双銀あわび結び
黄白結切り/黄白あわび結び
熨斗なし
のし袋白無
葬場祭お供え物を贈る 身内
身内以外
御供物
御供
のし紙
銀結切り(なし)/あわび結びなし)
黄白結切り/黄白あわび結び
通夜祭葬場祭時の 遺族 偲び

茶の子

使用例(のし紙/金封/のし袋の様式)

のし紙/金封/のし袋様式 使い方
金封:使用例 金封:使用例 のし袋:使用例 のし袋:使用例
金封:使用例 金封:使用例 のし紙:使用例 のし紙:使用例


神葬祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/12 07:17 UTC 版)

神葬祭(しんそうさい)とは、日本固有の宗教である神道葬儀である。

歴史

日本の古い葬儀の様式は神話の世界に登場し、古事記の中の天若日子の葬儀のくだりに、その様子を知ることができる[要出典]

日本固有の葬儀は、仏教伝来以降、急速に仏式のものが普及した。さらに江戸時代になると、キリシタン対策のための寺請制度(てらうけせいど=人々は必ずどこかのに所属しなければならないという制度)により仏式の葬儀が強制された。だが江戸時代の中後期になると、国学の興隆によって国学者たちが日本古来の精神・文化に立ち返ろうと訴える中で、神葬祭の研究も行なわれるようになり、日本古来の信仰に基づいた葬儀を求める運動(神葬祭運動)がおこった[1]。その結果、幕府は天明五年(1785年)吉田家から許可状のある神道者とその嗣子のみに神葬祭を行うことを許可した。

明治時代になると、政府の神祇政策の一環として神葬祭が奨励された[2]。例えば、神葬祭専用墓地として青山霊園が設立された。1873年7月18日には火葬仏教の習俗であるとして禁止された(1875年5月23日解禁)。地域によっては神仏分離廃仏毀釈に伴い、地域ごと神葬祭に変更したところもある。大日本帝国憲法では、信教の自由が制限付ではあるが保障されていたため、強制されることは無かった。しかし、葬儀に関わることは典型的な宗教行為であるため、神道は宗教ではないとの見解との整合性を取る必要があり、官吏待遇とされた官国幣社の神職は宗教活動である神葬祭を行うことを禁止され(府県社以下民社の神職は当分の間、認められた)、宗教活動の出来た教派神道を除いて、神葬祭の普及は停滞した。戦後、神道は神社本庁として宗教法人となり、国家管理から離れた為、葬儀に関わることが自由になった[要出典]

特徴

  • 諡号が贈られる - 仏教では、多くの宗派で、死後の名前として僧侶戒名法名を付けてもらうが、神道ではそれに当たるものは諡号(おくりな)である[要出典]。仏式の位牌にあたる霊璽(または御霊代ともいう)には、大体の場合は、故人の氏名が先ず書かれ、最近は無い場合が多いが、戒名と同様にその次に故人の性質業績や亡くなった時節などをあらわす尊称を連ね、最後に年齢性別に応じるが、成人男性の場合「大人(うし)」、女性の場合は「刀自(とじ)」などでくくられる形で霊号が墨書きされる。「大人」以外には「若子(わかひこ)・童子(わらこ)・郎子(いらつこ)・彦・老叟(おおおきな)・翁・大翁・君・命・尊」「刀自」以外には「童女(わらめ)・郎女(いらつめ)・大刀自・媼(おおな)・大媼・姫・媛」など死亡年齢や業績に応じた呼称が贈られることもある。諡号の例としては、○○○○美志真心高根大人、○○○○早苗童女(幼くして亡くなった女の子)(○○○○は氏名)のように贈られる。
  • 神葬祭では前述の通り年齢・性別で区別するのみであるので、仏教の葬儀における法名料や戒名料がかかることがない場合がほとんどである[要出典]
  • 線香は使わない - 仏式の場合、葬儀においては焼香をし、霊前には線香を立てるが、神葬祭では焼香や線香を用いることはまず無い。神葬祭においてこれに当たるものは玉串拝礼(たまぐしはいれい)である。玉串とはなどの木の枝に紙垂を付けたものである[要出典]
  • 墓 - 神道の奥都城(おくつき=奥津城、奥城とも書く)と言う。形は一般に神宝天叢雲剣(または烏帽子)を象って頂点を尖らせるが、そうでない場合もあり、正面に「○○家奥津城」と刻む[要出典]
  • 祖霊舎 - 祖霊舎(みたまや。御霊舎、御霊屋とも書く)とは、仏式の仏壇に当たるものである[要出典]

流れ

神葬祭には、全国的に統一された祭式(式次第)は無い。神道は日本古来の自然崇拝・祖先崇拝を基調として自然発生的に生まれた民俗信仰だからである。そのため、各地域によって、葬祭を行う神社によって、さらに言えば斎主となる神職によっても、異なった祭式となる[要出典]。以下には、流れの一例を示す。

枕直しの儀

神葬祭の最初の儀式。神棚・祖霊舎に故人の死を報告する。この後、神棚の前に白い和紙を下げる(神棚封じという。五十日祭で封じを解く)。遺体には白の小袖を着せて通常北枕に寝かせ、枕元に守り刀を置く。前面には祭壇を設け、米・酒・塩・水、故人が生前好んだもの等を供える。

納棺の儀

遺体を棺に納める儀式。蓋をして白い布で棺を覆った後、全員で拝礼する。蓋をする前に、榊の葉に水をつけて口を湿らせる末期の水の行事を行うところもある。

  • このときに仏教でいう「経帷子(きょうかたびら)」に相当する「神衣」と呼ばれる狩衣(男性の場合)もしくは小袿(女性の場合)をかたどった形の白い衣装を着せ、男性なら笏を持たせて烏帽子を被せ・女性なら扇を持たせて「神様の形」を作ることになる。なお、遺体は硬直やそうでなくても最近はドライアイスなどで固まっている場合がある。その際は衣装は被せるだけ、烏帽子は枕元に入れるだけのことが多い。生まれた時の産湯に相対する死後の湯罐をしてから着せる場合は柔らかくなるので何も問題はない。

通夜祭および遷霊祭

通夜祭とは仏式の通夜に当たるものである。遷霊祭とは、故人の霊を霊璽に遷し留める儀式。神職が祭詞を奏上し、遺族は玉串を奉って拝礼する。 遷霊祭は「御魂移しの儀」を執り行い、夜を象徴して部屋を暗くし、神職により遺体から霊璽(れいじ)へ魂が移される。この際、微音で警蹕が行われ(太鼓が入る場合もある)る様子が怪談映画などの「ひゅ~どろどろどろ」といった効果音の原型となっている。

葬場祭

故人に対し最後の別れを告げる、神葬祭最大の重儀。弔辞の奉呈、弔電の奉読、神職による祭詞奏上、玉串拝礼などが行なわれる。仏式の葬儀・告別式に当たる。

火葬祭

遺体を火葬に付す前に、火葬場にて行う儀式。神職が祭詞を奏上し、遺族が玉串を奉って拝礼する。

埋葬祭

墓地に遺骨を埋葬する儀式。の四方に竹を立てて注連縄で囲い、遺骨の埋葬、祭詞奏上、遺族の拝礼が行なわれる。神葬祭では、火葬場から遺骨を直接墓地へ移して埋葬する。ただし、最近は一度自宅へ持ち帰り後飾り壇に安置し、忌明けの五十日祭で埋葬するケースが増えている。

帰家祭および直会

火葬・埋葬を終えて自宅へ戻り、神職のお祓いを受けて家の門戸に塩をまく。そして、霊前に葬儀が滞りなく終了したことを報告する。この後、直会(なおらい)を行う。直会とは、葬儀でお世話になった神職、世話役などの労をねぎらうため、宴を開いてもてなすことである。これによって葬儀に関する儀式はすべて終え、これより後は、御霊祭(みたままつり)として行なっていく。

御霊祭

十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭、百日祭、一年祭と続く。仏式でいう初七日が十日祭、四十九日が五十日祭に当たる。地域や葬儀を行う神職によっても異なるが、二十日祭、三十日祭、四十日祭は省略する場合もある。なお、一年祭以降は、三年祭、五年祭、十年祭と続き、以降5年毎に御霊祭を行う。三年祭は仏式でいうなら三回忌に当たるものなのだが、仏式の三回忌は死んだときを一回目と数えて一周忌の翌年に行われるのだが三年祭は実際に死んだ年から三年目(以下五年祭・十年祭とも同様)となるため、注意が必要である。

なお、仏式で言う香典返し掛け紙には、「偲び草(偲草・しのび草)」もしくは「志」と表書きする。

参考書籍

脚注

  1. ^ 遠藤潤「神葬祭運動と情報収集 : 三河国平田国学者における(第十部会」『宗教研究』第82巻第4号、日本宗教学会、2009年3月30日、1257-1258頁、NAID 110007098360 
  2. ^ 此経啓助「神道式墳墓とは何か(一)」『日本大学芸術学部紀要』第42巻、日本大学、2005年、A47-A63、NAID 110007055815 

外部リンク



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