弔問外交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/06 17:02 UTC 版)
弔問外交(ちょうもんがいこう)とは、元首や政府要人などの死去に伴う葬儀(国葬を含む)において、各国の政府要人らが会葬する機会を利用して展開する外交のこと[1][2]。一般には各国からの弔問団の派遣を受け入れる形で多国間で行われるものを指すが、緊張関係にある二国間で弔問団の派遣と受入れが行われる場合も弔問外交と呼ばれる場合がある[3]。
- ^ 衆議院議員鈴木宗男君提出弔問外交に関する質問に対する答弁書 2007年(平成19年)5月15日 第1次安倍内閣
- ^ a b c d e 弔問外交 / ワードBOX / 西日本新聞 (2005年4月6日)
- ^ “弔問外交でも対南工作 韓国内の対立あおる”. CHUNICH Web. (2011年12月24日) 2013年12月11日閲覧。
- ^ a b 外交青書 わが外交の近況 1983年版(第27号) 第3部 資料編 III 年表1 国際編(1) 日本国外務省
- ^ 外務省: 外交記録文書の公開別添概要 2010年11月19日
- ^ a b 平成2年 警察白書 第7章 公安の維持 1. 総力を挙げて取り組んだ大喪の礼警備 (5)過去最大の警備 日本国警察庁
- ^ 原口武彦 コート・ジボワールの弔問外交 アフリカレポート(5) アジア経済研究所 1987年9月
- ^ 飯田三郎 「大喪の礼」を前にすでに始まった弔問外交(世界の眼)
- ^ 「[社説]中国・インドネシア和解に道つけた東京会談」1989年2月27日読売新聞朝刊
- ^ 首脳ら参列「弔問外交」へ 8日のローマ法王葬儀 共同通信 2005年4月5日
- ^ “サッチャー氏葬儀は来週 各国要人の弔問外交も”. ryukyushimpo.jp. (2013年4月9日) 2013年12月11日閲覧。
- ^ “追悼ムードの南ア、国葬へ…マンデラ氏死去”. YOMIURI ONLINE. (2013年12月7日) 2013年12月11日閲覧。
- ^ 【マンデラ氏死去】史上最大規模の弔問外交に - MSN産経ニュース(2013年12月6日)
- ^ “29日国葬は弔問外交の場に”. 産経新聞. (2015年3月24日)
- ^ “【李登輝氏死去】台湾、見据える弔問外交 中国を牽制、コロナが懸念材料”. 産経新聞. (2020-0731) 2020年9月27日閲覧。
「弔問外交」の例文・使い方・用例・文例
弔問外交と同じ種類の言葉
- 弔問外交のページへのリンク