龍宮
『浦島太郎』(御伽草子) 浦島太郎は、放生した亀の化身である美女に誘われて、船で沖へ漕ぎ出し、10日余りを経て美女の故里である龍宮城へ着く。そこは銀の築地を築き、金の甍を並べた理想郷で、浦島は美女と夫婦になって3年を過ごす〔*『日本書紀』巻14〔第21代〕雄略天皇22年(A.D.478)7月の浦島の記事では「蓬莱山」、『丹後国風土記』逸文では「天上仙家」「蓬山(とこよのくに)」、『万葉集』巻9 1744歌では「常世」とする〕。
『山城国風土記』逸文 男が、妊娠中の妻の願いで7色の海草を求め、海辺で笛を吹くと龍神が愛でて、男を婿に取ってしまう。しかし男は龍宮の火を忌み、常に龍宮の玉の輿に乗って海辺へ来て、食事をする。そのおかげで、後に男は妻のもとへ帰ることができた。
『龍宮の婿とり』(昔話) 妻子ある男が、道で会った美女から「嫁にしてくれ」と請われ、龍宮へ連れて行かれる。男は美女と結婚し、昼間は海の御殿で過ごし、夕方に陸地の妻子の所へ帰る。妻は夫を取り戻そうとするが、男は「自分は龍神の婿になったから、お前とは暮らせない。今後は私を神として祭れ」と言って、龍宮へ去る(沖縄県宮古郡伊良部村長浜)。
*龍宮にいる間に、人の世では長年月が経過する→〔髪〕9の『龍宮に遊んだ男』(沖縄の民話)。
*海底の龍宮が海上に現れる→〔海〕4bの『宝物集』(七巻本)巻5。
★1b.男が、湖の底の龍宮へ行く。
『俵藤太物語』(御伽草子) 俵藤太は、瀬田の橋の大蛇が化身した美女に依頼されて、三上山の大百足を退治する。美女は礼を述べ、俵藤太を伴って琵琶湖に入り、水輪際・金輪際・風輪際を過ぎて、龍宮に到る。そこは七宝の宮殿・黄金の楼門輝く荘厳世界だった。俵藤太は娑羯羅龍王に対面してもてなしを受け、鎧・太刀・赤銅の釣鐘を得て、瀬田の橋まで帰り着く。
★1c.男が、池の底の龍宮へ行く。
『今昔物語集』巻3-11 龍女が釈迦族の男を見て、「夫にしたい」と願い近づく。男は祈りの力で龍女を人間に変身させる。龍女の父王が来て礼を述べ、男を池の中の龍宮へ導く。そこは七宝の宮殿のある浄土さながらの所だった。男は故郷へ帰って国王となり、龍女を后に迎えるが、彼女が寝る時には頭から9匹の蛇が首を差し出すのだった→〔頭〕6。
★1d.男が滝壺の底の龍宮へ行く。
『平治物語』下「悪源太雷となる事」 難波三郎恒房が、箕面(みのお)の滝の滝壺に入る。はるか深くまで進むと、水のない所へ出た。美しい御所があり、恒房はその門口にたたずむ。龍宮の人が「はやく地上へ帰れ。ここは龍宮である」と言い、水晶の塔に佛舎利1粒を入れて、恒房に与える。それを懐に入れて龍宮の門を出たと思うと、恒房はもとの滝壺へ浮かび出ていた。
『鮫人(さめびと)の恩返し』(小泉八雲『影』) 龍宮の鮫人が過ちを犯して追放され、琵琶湖畔の瀬田の唐橋にうずくまっているところを、俵屋藤太郎に救われて、藤太郎宅の庭の池に棲む。鮫人の涙は紅玉(ルビー)であり、そのおかげで藤太郎は美しい妻を得る。やがて龍宮に大赦があり、鮫人は別れを告げて去る。
『鼻たれ小僧(龍宮童子)』(昔話) 貧しい花売りの男が、売れ残りの花を川へ投げ入れ、乙姫様に捧げていた。ある日、亀が迎えに来て、男は乙姫様の御殿へ行く。男は乙姫様にもてなされ、鼻をたらした「とほう」という名前の子供をもらって帰る。「とほう」は家や着物やお金を出してくれるので、男は大金持ちになる。しかし後に、男は「とほう」の汚さを嫌って、「もう帰れ」と言う。「とほう」が出て行くと、たちまち男はもとの貧乏にもどってしまった(新潟県南蒲原郡)。
『平家物語』灌頂巻「六道之沙汰」 壇の浦の合戦後、建礼門院徳子は源氏の兵に捕らわれて上京した。彼女は播磨国明石の浦でまどろんだ夢に、昔の内裏よりはるかにまさった所に、安徳天皇はじめ平家一門の公卿・殿上人が威儀を正して居並ぶのを見た。「ここは何処」と問うと、二位の尼(=徳子の亡母)が「龍宮城」と答えた。
『太平記』巻18「一宮御息所の事」 武士・松浦五郎が、一宮(=後醍醐天皇第一皇子・尊良親王)の御息所に横恋慕し、大物の浦から船に乗せ、九州へ連れ去ろうとする。鳴門海峡まで来ると、渦に巻き込まれて船が進まない。舵取りの男が、「鳴門は龍宮城の東門にあたるゆえ、龍神の望むものを海へ沈めよ」と言う。さらに、怨霊が海上に出現して船を招くので(*→〔入水〕4)、松浦五郎は御息所を小舟に乗せて海へ放つ。
*龍宮界の城門→〔経〕3cの『是楽(ぜらく)物語』(仮名草子)。
*地獄の東門→〔門〕1cの『弱法師(よろぼし)』(三島由紀夫)。
★5.龍宮にある経典。
『華厳宗祖師絵伝』「元暁(がんぎょう)絵」 新羅国王の后が重病に臥したので、良薬を求めて、勅使を乗せた船が唐へ向かう。海上に龍神の使いが現れ、勅使2人を海底の龍王宮(=龍宮)へ導く。龍王は、「后の病を癒すには、仏法の助けを借りるほかはない」と告げて、『金剛三昧経』を与える。勅使は『金剛三昧経』を新羅の王宮へ持ち帰り、元暁法師がこれを読解し注釈をほどこして、人々に講説する。聴聞の人々は歓喜(かんぎ)し、后の病は全快した。
『八宗綱要』(凝然)「華厳宗」 『華厳経』には、上・中・下の3本がある。上本は、三千大千世界を10集めて微塵にしたに等しい無数の偈(げ)と、四天下を微塵にしたに等しい多数の品(ほん)から成る。中本は、49万8千8百偈と千2百品から成る。上本と中本は龍宮にあって、人間界には伝わっていない。下本は、10万偈と38品から成る。これは人間界に伝えられ、インドに広まった〔*龍樹菩薩が龍宮を訪れ、下本『華厳経』を地上へ持ち帰った、との伝説がある〕。
*イエスの行ないをすべて書くならば、世界に収めきれない莫大な分量の本になる→〔本〕10bの『ヨハネによる福音書』第21章。
『龍樹菩薩伝』 大龍がナーガールジュナ(龍樹菩薩)を引き連れて海に入り、宮殿の七宝の蔵を開き、七宝の華函をあけて、多くの経典を授けた。ナーガールジュナは90日間、経典を読んだが、とても読み尽くすことはできなかった。大龍は、「龍宮には、数えることができないほどの無量の経典がある」と言った。ナーガールジュナは諸経の1箱を得て、無生法忍の悟りに達する。大龍はナーガールジュナを南インドへ送り還し、ナーガールジュナは大いに仏教を弘めた。
★6.龍宮は琉球である。
『椿説弓張月』続篇巻之1「拾遺考證」 私(滝沢馬琴)が考えるに、龍宮は琉球である。「琉球国の王宮の扁額には、龍宮城と書いてある」と、『琉球神道記』に記されているそうだ。琉球は東南にあって、水府の内の極深の底(「海上はるかに隔たった所」という意味か)なので、龍宮というのも、もっともなことである。『日本書紀』巻2「神代下」(*→〔異郷訪問〕1)の海神宮(わたつみのみや)は琉球のことだ、というのも、いつわりではあるまい。
★7.山中の龍宮。
『続玄怪録』9「一滴の水」 李靖(571~649)が若い頃、鹿を追って山道に迷い、大きな屋敷に一夜の宿を請うた。50歳ほどの夫人が出て来て、「ここは人間の屋敷ではありません。龍宮です」と言い、「天帝から『雨を降らせよ』との命令が下りました。夫も2人の息子も留守なので、手伝って下さい」と、李靖に頼んだ。李靖は馬に乗り、水瓶を持って空を駆け、村々に雨を降らせた〔*瓶の水の1滴が地上では1尺の雨量になるのだが、李靖はそれを知らず20滴も降らせ、たいへんな大雨になった〕。
★8.山の洞中の龍宮。
『和漢三才図会』巻第56・山類「洞」 『広博物誌』に言う。洞庭山に洞がある。梁の武帝の代(502~549)、仰公眺という人が洞に落ち、一龍宮に行きついた。下に青泥(せいでい)があって、昼夜いつも明るかった。青泥を食べてみると、うるち飯の味がした。後に帰ることができ、武帝は彼にその通路を聞いた。また、薬石を採る人がこの洞に入り、久しくして故郷へ帰って、9代目の孫と会った。その間3百年が経っていた。
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