山城国風土記
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『山城国風土記』によれば、賀茂建角身命は丹波国神野の神伊賀古夜日売をめとり、玉依日子(賀茂県主の遠祖)と玉依日売の二子を生んだ。玉依日売が石河瀬見小川の辺に遊んでいた時、丹塗矢(火雷神の化身)が川上より流れ下ってきた。これを取り床の辺にさし置くと、玉依日売は妊娠して子を生んだ。この子は賀茂建角身命の名からとって賀茂別雷命と名付けたという。 賀茂建角身命および玉依日売は賀茂御祖神社の、賀茂別雷命は賀茂別雷神社の祭神である。この二社は賀茂神社と総称される。これに関連して、各地に賀茂神社・加茂神社が存在する。
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山城国風土記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 01:31 UTC 版)
逸文だが「桂里」でも、「月読尊」が天照大神の勅を受けて、豊葦原の中つ国に下り、保食神のもとに至ったとき、湯津桂に寄って立ったという伝説があり、そこから「桂里」という地名が起こったと伝えている。月と桂を結びつける伝承はインドから古代中国を経て日本に伝えられたと考えられており、万葉集にも月人と桂を結びつけた歌がある。また、日本神話において桂と関わる神は複数おり、例えば古事記からは、天神から天若日子のもとに使わされた雉の鳴女や、兄の鉤をなくして海神の宮に至った山幸彦が挙げられる。
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