「秦氏の祖霊として創建」の縁起とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 「秦氏の祖霊として創建」の縁起の意味・解説 

「秦氏の祖霊として創建」の縁起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:33 UTC 版)

伏見稲荷大社」の記事における「「秦氏の祖霊として創建」の縁起」の解説

イナリ」の縁起としては『山城国風土記にあったとされる秦伊侶具のものが有名である。 風土記曰はく伊奈利と稱ふは、秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)等が遠つ祖、伊侶具の秦公、稻粱(いね)を積み富み裕(さきは)ひき。乃ち、餅を用ちて的と為ししかば、白き化成りて飛び翔りて山の峯に居り伊禰奈利(いねなり)生ひき。遂に社の名と為しき。其の苗裔(すゑ)に至り先の過ち悔いて、社の木を抜(ねこ)じて、家に殖ゑて祷(の)み祭りき。今、其の木を殖ゑてきば福(さきはひ)を得、其の木を殖ゑて枯れば福あらず。 — 逸文山城国風土記』 (大意風土記によればイナリ称する所以はこうである。秦中家忌寸などの遠い祖先秦氏族「伊侶具」は、稲作裕福だった。ところが餅を使って的として矢を射ったところ、餅が白鳥に代わって飛び立ち、この山に降りて稲が成ったのでこれを社名とした。後になって子孫はその過ち悔いて社の木を抜き家に植えて祭った。いまでは、木を植えて根付けば福が来て根付なければ福が来ないという。 この秦氏について、もともと山城国紀伊郡深草近辺在住していたことが見え(「秦大津父『日本書紀』欽明紀)、また、 秦公、賀茂建角身命二十四世賀茂県主久治良ノ末子和銅4年2月壬午稲荷明神鎮座ノ時禰宜トナル天平神護元年8月8日卒 — 『稲荷社神主大西(秦)氏系図』 とあり、秦氏賀茂神社との関連や、秦氏和銅年間稲荷社社家となったことを伝えている。社伝には、当時全国的な天候不順作物不順続いたが、勅使名山大川遣し祈請すると加護があって山背国稲荷山大神祀ると、五穀が稔って国が富んだ、とも伝えている。 上述の『山城国風土記』に見られるように、「イナリ」の表記はもともと「伊奈利」の字が当てられていたが、『類聚国史』にある淳和天皇天長4年827年正月辛巳の詔で初めて「稲荷」の表記用いられた。以降、『延喜式神名帳』には「山城国紀伊郡 稲荷神社三座名神大 月次・新甞」と記載され名神大社列し月次・新甞の幣帛受けた。 なお、この木を植え伝承は験(しるし)のとして現代にも伝わっている。

※この「「秦氏の祖霊として創建」の縁起」の解説は、「伏見稲荷大社」の解説の一部です。
「「秦氏の祖霊として創建」の縁起」を含む「伏見稲荷大社」の記事については、「伏見稲荷大社」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「秦氏の祖霊として創建」の縁起」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「秦氏の祖霊として創建」の縁起」の関連用語

「秦氏の祖霊として創建」の縁起のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「秦氏の祖霊として創建」の縁起のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの伏見稲荷大社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS