「移行の技法」
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「トリスタンとイゾルデ (楽劇)」の記事における「「移行の技法」」の解説
ワーグナーは音楽の流れが途切れることを嫌い、旋律の区切りで終止感のある和音を使わずに音楽がなお先に進むような印象を与えたり(偽終止)、一つの旋律が終わらないうちに新しい旋律が前の旋律に一つの線でつながるように工夫を凝らした。これを「無限旋律」という。 例えば、第1幕第1場でイゾルデの歌い終わりの部分「風よ、ご褒美にあげようじゃないの」では、強い決意を表明するために、イゾルデの旋律はハ短調の主音で結ばれる(zum Lohn! の箇所)。このとき、楽器法の上でもハ音に集中し、終止感を高めている。しかし、一方で和声は解決せず、さらに半音階上行・下行で緊張を高めている。つまりここでは、区切りを設定しつつ音楽の流れを止めないために、両極端の手法が同時に使用されている。こうした音楽の連続性を、さらに大局的に用いたものを、ワーグナーは「移行の技法(Die Kunst des Überganges)」と呼んだ。 1859年12月29日付、マティルデ・ヴェーゼンドンク宛の手紙でワーグナーは次のように述べている。 「この、もっとも繊細で、もっとも滑らかな技法の最高傑作は、もちろん『トリスタンとイゾルデ』第2幕の長大な場面です。第2場の冒頭では、きわめて激しい感情の諸相のなかで、漲りあふれる<生>が表現され、そして最後には、もっとも厳粛にして内密な<死>への願いへと至ります。これが二つの柱となるのです。そこで可愛い貴女、私がどうやってこの柱を結び合わせ、どうやって一方から他方へ橋渡ししたかを見てください。これが、私の音楽形式の秘密にほかならないのですから。」 ワーグナーが「漲りあふれる生から、もっとも厳粛にして内密な死への願いへ至る」と言及している第2幕第2場の過程は、ドイツの音楽研究家カール・ダールハウス(1928年-)の指摘によれば、間奏(ブランゲーネの「見張りの歌」)をはさんだ「昼の対話」と「夜の歌」から成っている。この両者はそれぞれ異なる原理で作曲されている。「昼の対話」では、「昼の動機」を絶えず反復することによって動機による統一性、「夜の歌」では、伴奏のシンコペーション・リズム、変拍子とカンタービレ旋律、増三和音など動機以外の要素に共通性が持たせられ、滑らかな移行が図られるのである。 「移行の技法」はこれまで多くのワーグナー研究者によって引用されてきたものの、分析はされなかった。その最初の試みがダールハウスのものであり、このような「複数の原理による創作」は、現代においてようやく意識されるようになってきた概念といえる。
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