踊りの種類
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「北マケドニアの民俗舞踊」の記事における「踊りの種類」の解説
以下は一例である。また、同じ名前でも地域ごとに踊りが異なったり、振り付けがなされて踊りが変化しているものもある。 なお、名前の末尾に「踊り」を意味する語 "オロ"(マケドニア語: оро, ラテン文字転写: oro)が続く場合と、その代わりに "-то" などの指示代名詞が接尾辞として付く場合があるが、同じ種類の踊りを指すことが多い。
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踊りの種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 04:49 UTC 版)
杵築盆踊りは、踊りの種類は山家踊りほど豊富ではないものの、杵築特有のベッチョセのほか、大分県各地に点々と伝わっている杵築踊り(三つ拍子、さえもんなどと同様に踊りの種類であり、杵築盆踊りという意味ではない)の原型である六調子などが残っている。概して山家踊りとよく似ているものの、山家踊りよりもずっとテンポがのろく、しなをつけて踊る。なお、段物とは7文字の繰り返しで長い物語を口説くもの、切口説とは7・7・7・5文字で一節ごとに意味の切れる都々逸などを口説くものである。 杵築市(大字大片平、大字熊野字加貫、同字梶ヶ浜を除く) 段物:三つ拍子、六調子、セーロ 切口説:さえもん ※セーロとさえもんを踊る集落はだんだん少なくなってきている。 同 大字大片平 段物:三つ拍子、二つ拍子、豊前踊り、レソ、六調子、セーロ、粟踏み 切口説:さえもん ※大字大片平の各集落は、東山香村の一部であった時期があることもあって、昭和20年頃までは山家踊りも伝わっていた。現在は、山家踊り(二つ拍子、豊前踊り、レソ、粟踏み)は踊っていない。なお、レソとさえもんは本来同義であるが、大片平においては山家踊りのさえもんと杵築盆踊りのさえもんとを区別するために、山家踊りのさえもんをレソと呼んでいた。 同 大字熊野 字加貫 段物:三つ拍子、六調子、セーロ 切口説:さえもん、ベッチョセ ※ベッチョセは、大分県内において加貫集落にしか伝わっていない踊りで、大変テンポが速い。太鼓の叩き方が大変難しく、加貫自慢の一つである。 同 大字熊野 字梶ヶ浜 段物:三つ拍子、六調子 新民謡など:杵築音頭、炭坑節など数種類 ※梶ヶ浜は他の都道府県からの移住者が非常に多く、新民謡を中心に踊る。したがって、杵築市内の他の集落とは大きく赴きを異にしている。
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踊りの種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 05:33 UTC 版)
千本搗き、三つ拍子、さえもん、博多踊り、寿司押し、佐伯踊り、米搗き、書生さん、曲典丸、三勝、六調子、ネッチョケ、小倉踊りの全13種類が伝承されている。三つ拍子、さえもん、佐伯踊り、三勝、六調子などといった元来の盆踊り唄の他に、千本搗き、寿司押し、米搗きなどといった作業唄からの転用や、書生さん、博多踊りなど流行唄からの転用の唄も多く見られる。
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踊りの種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/19 00:32 UTC 版)
殆ど全てのクルド人の踊りは社交的であり、頻繁に男達、女達が一緒に踊っている。踊りの隊形には、円状、半円状、真っ直ぐの列、の3つの形式がある。 踊り手は、手をつなぐ、肩を組む、小指でつなぐ、腰の後ろで手を組む、といった形でつながるのが典型的である。男性特有の踊りは素早さと運動能力が特徴的で、女性の踊りではより繊細な足、肩、膝と首の動きが特徴的である。 踊りを先導する人は çupi (Chupi) と呼ばれ、イランのいくつかのクルド人地域では Ser-Chupi と呼ばれている。先導者は右手にカラフルなハンカチーフを振って(あるいは何かカラフルな物、あるいは象徴的な物を持って)踊る。また、 çupi (Chupi) は転じて、「踊り」一般を指す言葉にもなっている少なくとも一つの踊りの場を率い終わるまで、誰もçupi (Chupi) である彼/彼女と交代しないのが伝統的なルールになっている。それ以外の踊り手は Gawani と呼ばれ、時には、列の最後の踊り手を指すこともある。踊り手達は様々な年代の人々で別れて踊る[要出典]。 いくつかのクルドの踊りには、さらに変化や多くの派生がある。Geryan の踊りは速い動作である。Dilan(英語版) の踊りでは、半円状で交互に並んだ男女の踊り手達が、手や desroke と呼ばれるカラフルなハンカチでつながり、列の先導者と末尾の者が desroke を巧みに動かして、踊りの輪を動き回る。先頭の踊り手は多くの力強さを見せたり、独自の即興的な動きを加えて、独自の踊りのステップや動きを強調して見せたりする。Chapi は「左」を意味する "chep"または "chap"という単語に由来する。この踊りはとてもシンプルなクルドの踊りの一つで、左足を2回前に踏み込んだ後、右足を2度踏み戻しながら円上を進んでいく。Sepe は chepi に似ているが、円心に向かって動いた時に右足で荒々しく地面を打つ。その他、各地に亜種の踊りがあり、それぞれ独自の形をしている。場所によって踊りが同じでも進む方向が異なっていたりする[要出典]。 踊りにおける動作は、さまざまな観点からクルディスタンのさまざまな地域で異なり、踊りに伴う喜びや憂慮の感情はそれぞれ独自の特別な場所と結びついている。 踊りのリズムのいくつかはもはや各地で共通ではないが、クルド人たちの独特な状況にも関わらず、多くの形態が保存されている。主だったところで、Geryan、Chepi、Daghe、Dilan、Hawshar、Shekhani、Khan Amiri、Daghe、Shayaneh、Zangi、Shekak、Sepa (Sepe)、Koçerî (Kochari)、Leblan、Fatah Pawsh (Pasha)、Shelan、Sejar、Mukri、Savarani、があり、比較的新しく踊られ始めたものは Naz, Farxe (Farkheh)、Bafraw とわずかしかない。なお、クルマンジー(北部クルド人)とソラニーの言語的な差異が、並行して音楽と踊りの差異に表れている。
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踊りの種類
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「ビザンチン帝国下のダンス」の記事における「踊りの種類」の解説
教会の承認を得た踊りは、集団の踊りで、男性達が女性とは別になって、厳粛で慎重な動作で列または円で踊るのが典型的であった。しかし、この当時の踊りに関する情報は非常に少ない。ビザンティン芸術(英語版)の主な対象は教会論であり、踊りに言及することはまれであった。東ローマ帝国期、及びその芸術を受け継ぐ踊りについて、いくつかのイメージが彫刻、ミニチュア、写本などに残されているが、教会のフレスコ画に残されているのは主に宗教的な題材で、そこにはあまり残っていない。 Phaidon Koukoules は、著書の Life and Culture of the Byzantines にその当時の踊りに関する既知の全ての言及をまとめている。その文章からは復活祭での女性の踊りやカレンズ(英語版)の夜に行われる仮装での風刺的な舞踊の存在、Roussalia の祭りで若い男たちの巡回楽団で踊っていたことなどが伺える。結婚式、居酒屋、そして宴会で踊りがあった。裕福な人々はプロのハープ奏者や若者や乙女たちを踊りに招き、踊り手の敏捷さや巧妙な脚さばきを鑑賞していた。また、劇場の舞台でフルートやギターの伴奏で踊りを見せる公演についても言及している。 当時の踊り自体に関する言及はわずかであるが、踊りはしばしば交じり合っていたことは知られている。踊りのリーダーはkoryphaios (κορυφαίος) 或いは chorolektes (χορολέκτης) と呼ばれて、歌を歌い始める役割があり、踊りの輪の維持に気を配っていた。 テッサロニキの Efstathios は、踊り手達が輪で踊り始め。最後は踊り手同士が向き合って終わる踊りに言及している[要出典]。輪から外れている踊り手は両手を高く上げたり左右に振っていた。踊り手はフィンガーシンバルやバンダナの類のものを手に持ち、長袖をまとって踊りの動きを強調していた。踊り手は踊りながら歌を歌い、時には一斉に、時には控えめに歌い、踊りのリーダーの歌った詩を反復した。見物人も拍手や歌で参加し、プロの歌手やミュージシャンはその状況に合わせて歌詞に曲をつけていた。 コンスタンティノープルでは、重要な行事の度に民衆の踊りで大規模に祝われていた。例えば、勝利を収めたビザンチンの軍隊の凱旋時には、市民は通りを駆け回り、兵士たちと踊り、歓喜の声を上げていた。また、イースターとクリスマスにテオフィラクト総主教の許可の元に教会の中で人々が踊っていたとの記録がある[要出典]。 また、皇帝をからかって踊り、即興の歌を歌ったりしていた。兵士たちは訓練の一環として踊り、その後に娯楽のためにも踊った。戦車競走などの競技の勝者達はその競技場で踊り、船乗りたちは迷路の螺旋をまねるかのように、体をよじったり回転したりする柔弱な踊りを踊った。
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踊りの種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 03:46 UTC 版)
花笠まつりの振り付けは、山形県内の各地域別に約10種類の振り付けが存在していた。 1963年(昭和38年)、それらの振り付けが一本化され「正調花笠踊り -薫風最上川-」が制定された。以降、これが標準的な振り付けとされたが、紅花摘みの作業唄からとったとされる、その楚々とした踊りの動作のため、主に女性が踊り手の中心となった。 1999年(平成11年)、「正調花笠踊り -蔵王山暁光-」が、「薫風最上川」に並ぶ標準振り付けとして制定された。豪快な動作を取り込んでいるところが特徴であり、これにより男性の踊り手の増加に寄与したと言われる。 また、「おばなざわ花笠まつり」で踊られているいわゆる「笠回し」で参加する団体も多い。笠回しには5つの流派がある。
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