踊りの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 01:08 UTC 版)
「エヒタナハの踊りの行進」の記事における「踊りの歴史」の解説
踊りに関しては、ウィリブロルドが、祭壇を背中に負って、踊って布教したからともいわれるが、一般には、1349年のペストの大流行の際に、この聖堂に詣でる人々が増え、1374年ごろから踊りが始まったといわれている。家畜の病気がはやった時に始まったとも、また、8世紀には既に始まっていたという説もある。当時の災害、戦争といった社会不安も、熱狂的な聖堂詣でを引き起こした一因と思われる。 このような話もある。ハンチントン病の妻を殺され、あまつさえ財産も親族が分けてしまっていた吟遊楽師が、妻を殺害したという無実の罪で死刑になる前、フィドルを奏で、それに皆が共感して踊り始め、収拾がつかなくなったのを、ウィリブロルドが止めたというものである。これは吟遊詩人によってもたらされた物語の一つであるが、現在の踊りの行進は、この楽師への贖いの意味もあるという。また、ウィリブロルド自身が踊りを考案して広めたという説もある。かつてはキリスト教でも踊りが不可欠だったが、いつからか世俗のものとなってしまった。その意味でも、このエヒタナハの踊りは注目されるものがある。現在この踊りでは、ベネディクト派の感謝の歌が歌われる。これは、聖ウィリブロルドへの感謝もこめられている。踊りそのものは1450年ごろから続いており、大変に歴史のある行事である。 タイムによれば、「ルクセンブルクを訪れる5つの理由のうちの1つ」である。また、ユネスコの無形文化遺産リストにも記載されている。
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