旅の履歴とは? わかりやすく解説

旅の履歴(1990年まで)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 22:57 UTC 版)

つげ義春」の記事における「旅の履歴(1990年まで)」の解説

1955年 手伝いをしていた岡田晟に伴い湯河原温泉へ。旅館女中親密な仲になる。 1958年 当時恋愛関係にあった女子大生のS、その友人4-5人で甲府昇仙峡へ。26年後の作品池袋百点会1984年12月)のラストシーン描かれる1965年 白土三平招待千葉県大多喜旅館寿恵比楼滞在。『不思議な絵』を描き上げる。 1967年 井伏鱒二影響で旅に没頭唯一の友人立石能登飛騨秩父伊豆千葉などを旅行秋に一人東北1週間長期旅行10月26日11月2日)。古い本で東北地方湯治場写真見てあまりに惨めで貧し雰囲気に強い衝撃と胸騒ぎ覚えたため。八幡平温泉蒸の湯後生掛温泉角館小安温泉泊、サービス悪くチップを出す気にもなれず早々に寝る。会津から湯野上温泉泊、期待外れだった塔のへつり岩瀬湯本温泉二岐温泉などを訪問。特に岩瀬湯元温泉を最高と評価。旅に強い印象を抱くとともに湯治場雰囲気魅了される初めての一人旅であった。この旅の強い印象から『二岐渓谷』『オンドル小屋』『もっきり屋の少女』の3作が生まれる。旅に関連した書物柳田國男宮本常一などを愛読する1968年 2月群馬県湯宿温泉新潟十日町から飯山線経て長野県麻績宿旅行6月には外房大原に1泊。7月立石慎太郎と秋山郷屋敷温泉松之山温泉草津温泉花敷温泉尻焼温泉旅行9月九州方面蒸発旅行自分存在実感消滅し蒸発したようにこの世いながらいない状態を実感1969年1月、『アサヒグラフ』の取材大崎紀夫北井一夫湯宿温泉法師温泉旅行2月藤原マキ知り合う5月五能線八森鰺ヶ沢黒湯孫六温泉などへ旅行。また水木しげる長野県明治湯へも旅行6月 千葉県房総半島太海鴨川大原へ。太海で謎のに足を刺され医者求め彷徨い歩く体験をする。8月には、藤原マキ夏油温泉から定義温泉北温泉へ。定義温泉精神科紹介がないと宿泊できない施設で、門前そば屋計らいで「頭が重いでわざわ訪ねてきた」ことにして宿泊押入れ開けて布団取り出して寝ていると女将激しく怒られ、このエピソードを後に『枯野の宿』にて使用する。この数日後、『アサヒグラフ』の取材再度夏油温泉蒸けの湯、今神温泉へ。暮れには1年半ぶりに作品を描く。 1970年 下北半島を『アサヒグラフ』の取材大崎紀夫北井一夫と3人で旅行大湊線終点からバス陸奥湾出口付近にある脇野沢村九艘泊漁村へ。その貧し暮らしぶり無常感感じ自分もそこで暮らしたい願望を持つ。廃墟やそれに類する貧し暮らしたたずまいから、〈意味化され社会化されていた自己〉からの解放と生の回復希求感じ取る。さらに山手にある水上勉原作映画飢餓海峡』のモデルとなった湯野川温泉赴くが、高熱出し2日身動き取れなくなる。その後、牛滝、福浦長後佐井小さな漁村仏が浦へ。仏が浦で目にした巨岩は、無意味目に見える固形になって現われており、その威厳圧倒される役割もなく意味も寄せつけない巨塊眼前にし、相即的につげは自分岩石のように意味のない「物」に化したような感覚覚える。世界聖地無意味具現化たような岩場が多いのは、どんな意味も寄せ付けない巨塊眼前にした時、自分自身が意味のない物に化した感覚になることで、意味からの解放感じることができ、あるがままに現象している心地覚えることが理由吸引されるのではないか感得する1971年 暇をもてあまし東北瀬戸内海奈良長野会津などを歴訪瀬戸内兵庫県室津皮切りに中山道妻籠宿奈良井宿藪原宿訪問し、さらに会田宿青柳宿1968年訪問した麻績宿再訪当時結婚した藤原マキ伴って旅行であった1972年9月 漫画家としての将来に不安を抱き家賃の心配のない持ち家探すために、母の郷里である外房大原へ妻とともに赴き、国民宿舎大原荘一泊。しかし不動産屋が見つからず小浜という漁村歩き幼少期住んでいた家を妻に見せ父の墓へ参る。その後八幡岬登り水平線一望潮風に当たり帰港する漁船見ているうちに目頭熱くし、何とかこの地に住みたいと願う。翌日鴨川から、内房金谷上総湊2つ物件を見る。 1972年11月 不動産物件探しのため、再び大原へ。いくつかの物件見て回り小浜漁村内の古家付き30130万円物件気に入り、買う気持ちに傾く。幼少期住んだの裏のつげの遠縁経営する横山」という民宿泊まる。そこで母が地元評判良くなかったことを聞かされる5、6歳ころによく遊んだ松ちゃん」というその家の息子部屋現れる会話は弾まなかった。 1975年 友人立石慎太郎と立石車で関東平野旅する調布から川越桶川至り深沢七郎味噌食べるため立ち寄るが、雨戸が閉まり呼び鈴を押すが反応がなかった。つげが立ち寄りたい考えていた羽生館林通過し足利でそばを食べ佐野へ。宿を探し葛生から栃木へ。川に面した商人宿の「手束旅館」に泊まる翌朝、宿近く骨董店欠けた皿やガラス瓶8000購入し後悔する小山下館笠間通り土浦江戸崎、布佐コース希望する渋滞のために運転手立石否定される立石はつげの弟のつげ忠男勤め金物屋行きたいというが、今度はつげが否定したため気まずいムードとなる。京葉道路通り午後8時ころ帰宅立石はつげに向かってまた、つげさんのふくれっ面を見に来ますよ」と捨て台詞残し立ち去る10月には雑誌太陽』の取材田中小実昌渡辺克己編集者有川の4名で城崎温泉湯村温泉などを旅行ヌード小屋ぼったくりバーなどで豪遊田中小実昌破天荒な遊びっぷりに仰天する編集者有川有名な写真家Sなら100万円くいかかる聞かされる余部鉄橋日和山公園海女実演などを見物1981年4月 ノイローゼ小康状態となり、湯ヶ野、下田須崎漁村などを2泊3日家族旅行1984年7月 湯ヶ野、湯ヶ島に2泊旅行心身不調のため旅への関心薄れる。年に1、2回の家族旅行程度1985年5月 連休頃に持病症状軽快したため家族1966年以来9年ぶりに奥多摩へ。自然の美に言葉もないほど感動する。特に御嶽駅前の渓谷美に心打たれる日帰りの距離であるにもかかわらず長く来なかったことを後悔する初日五日市からバス秋川谷沿いの本宿国民宿舎投宿翌日網代鉱泉訪問風格のある茅葺屋根豪壮な建物惹かれ宿泊願い出る少人数泊めないとモンペ姿の老婆追い返され奥多摩へ。御岳割烹旅館「五州園」に宿泊6000円以上の旅館泊まったことのないつげが、初め8000円の旅館宿泊帰路には夫婦喧嘩をする。石拾い試みるが一つも拾うことはできなかった。8月には下部湯河原箱根に3泊の旅行1986年2月 千葉県館山浄土宗尼僧八幡清祐に出会い80歳を過ぎ乞食生活を続ける師の生き方心打たれる6月には、家族鎌倉寺巡りをし、長谷寺門前一泊鎌倉大仏建長寺などを見学8月には、秩父訪問不動湯、紫原鉱泉宿泊1987年8月 家族3人で長野県別所温泉鹿教湯温泉訪問9月には友人車で塩山鉱泉恵林寺放光寺見物し石和温泉宿泊11月上旬、「つげ義春研究会研究旅行15名)に同行し甲斐路訪問甲斐国分寺跡犬目宿、秘郷・秋山村訪ねる夕暮れ迫る深い峡谷集落に灯が一つ二つ灯り暗く哀しいつげ義春世界」が現出1990年4月 山梨県田野鉱泉嵯峨塩鉱泉家族旅行このころより山に惹かれるうになる

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