探査の歴史
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惑星形成論の研究や、将来的な資源利用への布石として、小惑星探査が進められている。 望遠鏡でも点状にしか見えないため、1990年代に入るまで、小惑星の研究は軌道の確定や光度の測定に留まり、その姿については想像の域を出なかった。しかし、恒星食による形状の推定、ハッブル宇宙望遠鏡などの高性能の望遠鏡による観察やレーダー測定により、大きさや形状など、その姿が徐々に明らかになってきた。 そして、1989年に打ち上げられた木星探査機ガリレオにより、1991年に (951) ガスプラ、1993年に (243) イダの映像が撮影され、人類は初めて小惑星の鮮明な映像を目にした。なお、ガリレオはイダに初めて衛星を発見し、ダクティルと名づけられた。その後も、主に地上での観測により170個以上(2010年現在)の小惑星に衛星の存在が確認されている(小惑星の衛星参照)。 1996年に打ち上げられたNEARシューメーカーは、1997年に (253) マティルド、2000年に (433) エロスの映像を撮影し、探査機はエロスの周回軌道に乗った後に着陸を果たした。 2003年に打ち上げられた日本の探査機はやぶさは、2005年に (25143) イトカワへ到達、至近距離からの詳細な観測を行った。はやぶさはイトカワに、計画通りではなかったが接地し、その後離脱した。サンプル採取については、操作ミスにより、送られた命令列中に弾丸発射命令が存在していなかったため、サンプルホーンの接触により微粒子状の対象が舞い上がったものが回収されていることを期待する、とした(幸い、そのようにして回収されたものとほぼ断定できるサンプルが、実際に確認された)。2010年6月13日に地球へ帰還し、サンプル容器を納めたカプセルが回収されて容器内の微粒子の回収と分析がおこなわれ、同年11月16日には、回収された微粒子のほとんど全てがイトカワ由来であることが発表された。これは世界初の小惑星からのサンプルリターンである。 2004年に打ち上げられたロゼッタは、2008年に (2867) シュテインス、2010年に (21) ルテティアへの接近観測を行った。 2007年に打ち上げられたドーンは、2011年に (4) ベスタの周回軌道に乗って観測を行い、2012年にベスタの軌道を離脱した。2015年には (1) ケレス周回軌道に到達し、2017年現在でも近接探査が続けられている。 2014年12月には「はやぶさ」の後継機となるはやぶさ2が打ち上げられた。2018年6月に探査目標であるリュウグウに到着、2018年9〜10月に探査機器を表面に下ろしたほか、2019年2月には第1回タッチダウン、2019年7月には第2回のタッチダウンを実施、サンプル採取を試みた。この間2019年4月には、天体に衝突体をぶつけてクレーターを生成する爆破探査も実施した。2019年11月にリュウグウを離脱、2020年12月に地球に帰還カプセルを戻した。帰還カプセルの中には小惑星由来と考えられる物質が大量に入っていた。2021年7月現在、詳細な分析が開始されている。なお、本体は別の小惑星への探査を実施する予定であり、2031年7月に1998 KY36という小惑星に到達することを目指している。 2016年にはアメリカの小惑星探査機オシリス・レックス(オサイレス・レックス、オサイリス・レックスとも)が打ち上げられた。目標とする小惑星はベンヌで、2018年12月に到着、2020年10月にサンプル採取を実施し成功した。2021年4月に小惑星を離脱、2023年9月に地球帰還予定である。 その他にも、彗星探査機などにより比較的遠距離からの、もしくは不鮮明な小惑星の映像がいくつか撮影されている。 2021年現在、ルーシー (2021年10月打ち上げ予定)、DART (2021年11月打ち上げ予定)、サイキ (2022年8月打ち上げ予定)が準備中である。また、マルコ・ポーロなどの小惑星探査計画が検討中である。さらにドン・キホーテという計画では、小惑星にインパクターを衝突させる構想である。 アメリカではコンステレーション計画の中止後、2010年4月にオバマ大統領の発表した新宇宙政策の中で有人小惑星探査「小惑星イニシアチブ」が検討されたが、2017年になり中止となっている。
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探査の歴史
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ニオブララ累層は1870年にイェール大学のオスニエル・チャールズ・マーシュが先導する遠征中に発見された。同年および1871年・1872年の調査により、この地層に一般に共通する数多くの脊椎動物化石が初めて発見された。1879年まではマーシュが指名したベンジャミン・フランクリン・マッジやサミュエル・ウェンデル・ウィリストンといったプロの化石収集家の指揮の下で調査が続けられた。 それ以来ニオブララ累層の発掘調査は続いており、著名な化石収集家チャールズ・ヘイゼリアス・スタンバーグの息子ジョージ・フライヤー・スタンバーグとカンザス大学のH・T・マーティンにより標本が発見されている。この地層の秀逸な資料の1つはカンザス州ヘイズのスタンバーグ自然史博物館に展示されている。
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探査の歴史
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何世紀にも渡って、多くの科学者、哲学者、SF小説作家は太陽系外惑星が存在すると考えていた。しかし、長らくそれを発見する方法はなく、どのくらい存在するか、どれだけ太陽系の惑星に似ているかを知る手段もなかった。19世紀までに太陽系外惑星を発見するために提案された観測方法は、全て天文学者によって否定されていた。太陽系外惑星の存在を示す最初の証拠は1917年に記録されたが、それが認められることは無かった。科学的根拠に基づいて初めて太陽系外惑星の存在を示す証拠が記録されたのは1988年である。その直後、1992年にパルサーPSR B1257+12を公転する史上初めての太陽系外惑星が確認された。初めて発見された、主系列星を公転している太陽系外惑星はペガスス座51番星のすぐ傍を4日で公転している巨大ガス惑星で、1995年に発見された。 当初は木星質量の数分の1以下の天体は検出できなかったが、その後海王星サイズの惑星も検出できるようになり、スーパー・アースと呼ばれる巨大地球型惑星の発見を経て、最終的には地球以下のサイズの惑星までもが発見できるようになった。2018年8月時点で最も質量が小さな太陽系外惑星は、PSR B1257+12の最も内側を公転しているPSR B1257+12 Aで、月の2倍程度の質量しかない(冥王星の5分の1程度の質量を持つ彗星か小惑星らしきものもあると言われている)。大きい方では、質量が木星の10倍もあるような超巨大惑星も見つかっている。これより大きな天体としては褐色矮星があるが、質量分布からは惑星と褐色矮星の間に明確な溝がみられる。 いくつかの太陽系外惑星は、望遠鏡による観測でその姿が直接観測されているが、大部分はドップラー分光法やトランジット法といった間接的な観測方法で発見されている。2018年2月、チャンドラX線観測衛星を用いて観測を行っている研究者達はマイクロレンズと呼ばれる現象を利用して、銀河系外惑星が潜在的に約1兆個存在していることを示す証拠を見出し、「これらの太陽系外惑星には月と同等の大きさのものもあるし、一方で木星と同等の大きさを持つものもある。地球と異なり、多くの太陽系外惑星は、恒星によって密接に束縛されていないので、実際には宇宙を放浪しているか、ゆっくりと恒星間を公転している。我々は、銀河系の外にある惑星は1兆個以上存在しているということを推定できた」と述べている。
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探査の歴史
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「クレオパトラ (小惑星)」の記事における「探査の歴史」の解説
クレオパトラは周期5.385時間で変光するが、その変光の幅は1等以上もある。そのため、軸の長さの比が3.4対1.3対1というかなり細長い楕円体が想定されていた。このような形状が安定して存在するためには密度の小さいことが必要条件になるが、分光観測の結果、クレオパトラは鉄とニッケルに富むM型小惑星であることがわかり、前者の条件と大きく矛盾していた。そのため、天文学者の間からは二重小惑星ではないかという指摘がなされていた。 1991年1月19日、アメリカ合衆国の北部でクレオパトラによる恒星の掩蔽(星食)が観測され、影の形から形状は細長い楕円体であることが確かめられた。なおクレオパトラによる星食は少なくとも7回観測されており、7回目の星食は2006年4月22日に日本の茨城県で観測された。1999年10月25日、チリのラ・シラにあるヨーロッパ南天天文台の3.6メートル望遠鏡で補償光学による観測が行われた結果、ダンベル状もしくは二重小惑星と見られる形状が観測された。また同年には、1993年に行われたハッブル宇宙望遠鏡の観測により、クレオパトラがダンベル型の接触二重小惑星であると発表された。 2000年5月、スティーヴン・オストロ (Steven J. Ostro) 率いるNASAの観測チームがプエルトリコにあるアレシボ天文台の電波望遠鏡からクレオパトラに向けてレーダー信号を発射、はね返ってきた信号を受信し、コンピュータで解析して画像を合成した。その結果、クレオパトラはダンベルもしくは犬の骨のように2つの塊が合体したような形をしていることがわかった。それまでにも、地球近傍小惑星をレーダー観測した例はあったが、小惑星帯の小惑星をレーダー観測したのはこれが初めてであった。 このような形状の小惑星は、二つの小惑星が低速で衝突することにより、破砕されずにくっついてしまったか、あるいは (4) ベスタのように核、マントル及び地殻を持った小惑星が衝突を繰返すうちにマントルや地殻を吹き飛ばされ、金属質の中心核だけが残った結果、形成されたと考えられている。
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