幕末の暗殺
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安政7年・万延元年(1860年)1860年1月7日 - イギリス公使館通詞の伝吉、泉岳寺で暗殺。 1860年2月5日 - オランダ船長デ・ヴォスとデッケル、暗殺。 1860年3月3日(新暦3月24日) - 大老井伊直弼暗殺。犯人は水戸藩浪士ら(桜田門外の変)。 1860年12月4日(新暦翌1月15日) - アメリカ人通訳ヘンリー・ヒュースケン、薩摩藩士に襲われ暗殺。 万延2年・文久元年(1861年)1861年5月28日 - 松本藩士が、警備に当たっていたイギリス仮公使館に侵入し、イギリス人水兵2名を殺害(第二次東禅寺事件)。標的となった公使オールコックは避難。水戸浪士・有賀重信らを含み14名から成る犯人は、2名斬死・1名重傷のち捕らわれて死亡・3名は後に自刃し、行方をくらました残り8名のうち、黒沢五郎と高畠総次郎は後に坂下門外の変に参加、闘死した。 文久2年(1862年)1862年4月8日(新暦5月4日) - 土佐藩参政吉田東洋暗殺。犯人は土佐勤王党の那須信吾ら。 1862年7月20日 - 九条家の家士島田左近暗殺。犯人は田中新兵衛。 1862年7月25日 - 対馬藩江戸家老・佐須伊織暗殺。犯人は、藩主継嗣問題で対立していた同藩佐幕派・勝井五八郎ら。 1862年8月2日 - 吉田東洋暗殺犯を探っていた土佐藩下横目・井上佐一郎暗殺。犯人は岡田以蔵ら。井上の同僚・岩崎弥太郎は難を逃れた。 1862年8月8日 - 長州清末藩士船越清蔵暗殺。 1862年閏8月20日 - 尊攘派の本間精一郎、暗殺。犯人は岡田以蔵ら。 1862年閏8月22日 - 九条家宇郷重国、暗殺。犯人は岡田以蔵ら。 1862年閏8月30日 - 目明し猿の文吉、暗殺。犯人は岡田以蔵ら。 1862年9月2日 - フランス士官カミュ殺害される(井土ヶ谷事件)。 1862年9月23日 - 同心(与力説もあり)の森孫六、大川原重蔵、渡辺金三郎、上田助之丞ら暗殺。 1862年10月20日 - 万里小路家士・小西直記、暗殺。 1862年11月16日 - 長野主膳の妾の子で金閣寺の寺侍・多田帯刀、暗殺。 1862年12月9日 - 赤穂藩急進派、家老森主税、村上真輔ら3人を暗殺。 1862年12月18日 - 知恩院家士・深尾式部、暗殺。 1862年12月19日 - 横井小楠、吉田平之助、襲撃され吉田が死亡。 1862年12月21日 - 和学者塙忠宝と加藤甲次郎、暗殺。犯人は伊藤俊輔ら。 1862年12月22日 - 壬生藩家老・鳥居志摩、暗殺。 文久3年(1863年)1863年1月13日 - 浪士宇野東桜暗殺。犯人は尊王攘夷派と推測されるも、不明。斬奸趣意書には「同志を裏切ったための処刑」とあった。死体は切り刻まれ、無残であったという。 1863年1月14日 - 町役人・林助暗殺。犯人は薩長土尊王攘夷派。 1863年1月21日 - 長州藩士・香川助蔵、暗殺。 1863年1月22日 - 儒学者・池内大学、暗殺。犯人は岡田以蔵ら。 1863年1月28日 - 千種家雑掌・賀川肇、暗殺。 1863年2月6日 - 唐橋村庄屋・宗助暗殺。犯人は土佐藩尊王攘夷派志士。 1863年2月23日 - 足利三代木像梟首事件。これ自体は器物損壊事件ながら、その動機や状況などから京都における暗殺を象徴する事件。 1863年3月18日 - 妙法寺寺役・正淳及び東清寺寺役・光淳暗殺。犯人は天誅組とも土佐藩尊王攘夷派志士とも伝わる。 1863年3月27日 - 岡っ引・丸屋半七の兄、文助暗殺。同時に半七の妻・とみも重傷。犯人は尊王攘夷派と見られる6名。大橋順蔵捕縛に関連し狙われた半七自身は留守だった。 1863年4月3日(新暦5月7日) - 対馬藩家老補佐役大浦教之助子息・申禄及び沢子亨暗殺。藩主継嗣問題や思想対立を動機とし勝井五八郎が首謀、八坂順之助らが実行。 1863年4月8日(新暦5月12日) - 壬生浪士組・殿内義雄暗殺。犯人は近藤勇・沖田総司ら。浪士組の内紛(3月25日説もある)。 1863年4月10日(新暦5月14日) - 勤皇の志士を騙って強請りを働いていた神戸六郎及び岡田周造暗殺。犯人は新徴組。 1863年4月13日(新暦5月30日) - 清河八郎暗殺。犯人は佐々木只三郎、窪田泉太郎ら。 1863年5月18日 - 儒学者・家里新太郎(壬生浪士組・家里次郎の兄)暗殺。犯人は尊王攘夷派。動機は幕府側に情報提供を行っていたことによる。 1863年5月20日(新暦7月5日) - 尊攘派公卿姉小路公知暗殺(朔平門外の変)。犯人は薩摩藩士か。 1863年5月21日 - 徳大寺家家人・滋賀右馬大允暗殺。犯人は尊王攘夷派。 1863年6月25日 - 剣客仏生寺弥助、猪野田玄助暗殺。犯人は長州藩尊王攘夷派。 1863年6月25日 - 植村長兵衛暗殺。壬生浪士を騙っていたため芹沢鴨、新見錦、野口健司らにより殺害との説がある。 1863年7月2日 - 勤皇志士を騙り強請りを行っていた石塚岩雄暗殺。犯人は尊攘派志士、または新選組説もある。この年、こうした偽志士狩りが横行したという。 1863年7月11日 - 華頂家を不正により解雇されていた元役人・森田道意暗殺。犯人は尊攘派。森田はまた、幕府側の密偵であったとされる。 1863年7月23日 - 油商人・八幡屋卯兵衛暗殺。犯人は尊攘派または天誅組。同時に複数の大商人へ「天誅予告」が送られたという。 1863年7月26日 - 吉備津神宮神官・大藤幽叟暗殺。犯人は尊王攘夷派。 1863年8月3日(新暦9月15日) - 生野代官所元締手代・安福大次郎暗殺。 1863年8月10日(新暦9月22日) - 新選組隊士・佐々木愛次郎暗殺。犯人は佐伯又三郎、または長州藩説がある。 1863年8月10日(新暦9月22日) - 新選組隊士・佐伯又三郎暗殺。犯人は芹沢鴨一派、または久坂玄瑞説がある。 1863年8月12日(新暦9月24日) - 西本願寺用人・松井中務暗殺。 1863年8月15日 - 国学者・鈴木重胤暗殺。犯人は尊攘派と思われ、動機は鈴木が廃帝の故事を調べていたためとされた。 1863年9月18日(新暦10月30日) - 新選組局長芹沢鴨、隊士平山五郎暗殺。犯人は近藤勇、土方歳三ら。新選組の内紛事件。 元治元年(1864年)1864年2月26日 - 薩摩藩貿易商・大谷仲之進暗殺。犯人は奇兵隊の永井精一、山本誠一郎、高橋利兵衛。後に永井と山本は自刃、高橋は自首のうえ切腹。 1864年5月5日 - 画家・冷泉為恭(狩野永岳の甥)暗殺。犯人は大楽源太郎ら。 1864年5月20日 - 大阪町奉行与力・内山彦次郎暗殺。犯人は新選組説が有力。 1864年5月22日 - 京都・会津藩士松田鼎暗殺、鳩首される。犯人は尊攘派浪士とみられる。 1864年6月16日(新暦7月19日) - 一橋家家老・平岡円四郎暗殺。 1864年7月1日 - 富山藩家老・山田嘉膳暗殺。犯人は富山藩士・島田勝摩。 1864年7月6日 - 備前藩の動向を探っていた新選組密偵松山幾之助暗殺。犯人は岡元太郎ら7名。うち岡元ら4名は自訴して赦免された。 1864年7月19日 - 生野の変首謀者の平野国臣、禁門の変の最中に獄中にて正規の刑執行を待たず幕吏により殺害(一般に暗殺に数えられる)。 1864年7月11日(新暦8月12日) - 佐久間象山暗殺。犯人は河上彦斎ら。 1864年10月22日(新暦11月21日) - 鶴岡八幡宮参道前にて英陸軍ボールドウィン少佐及びバード中尉暗殺。犯人は浪人・清水清次と間宮一。両名とも年末までに捕縛の上、斬首。清水の処刑には英通訳アーネスト・サトウが立ち会った(鎌倉事件)。 1864年12月8日 - 尊攘派公卿・中山忠光暗殺。犯人は長州藩俗論党。 1865年7月頃 - 新撰組勘定方・酒井兵庫暗殺。犯人は沖田総司。 慶応2年(1866年)1866年(5月15日)4月1日 - 新選組七番隊長・谷三十郎頓死。一説に斎藤一による暗殺説がある。 1866年5月1日 - 対馬藩佐幕派・八坂順之助及び阿比類嘉助暗殺。犯人は同藩勤皇派・樋口謙之丞ら。 1866年5月2日 - 対馬藩佐幕派の巨頭・勝井五八郎暗殺。犯人は同藩勤皇派。これにより勤皇派が同藩の実権を得るも、樋口も翌年暗殺される。 1866年12月25日(新暦翌1月30日) - 孝明天皇崩御。俗説では岩倉具視らによる暗殺説がある。 慶応3年(1867年)1867年2月18日 - 志士渕上郁太郎暗殺。犯人は新選組の伊東甲子太郎・新井忠雄とされてきたが、確証はない。広田彦麿らの犯行とする説もある。 1867年6月13日 - 水戸藩京都警衛指揮役住谷寅之介暗殺。犯人は土佐藩士山本旗郎ら。 1867年6月22日(新暦7月23日) - 新選組五番隊長・武田観柳斎暗殺。犯人は斎藤一・篠原泰之進らか。(9月28日説もある) 1867年7月6日(新暦8月5日) - 英軍艦イカロス号の水兵2名、長崎の路上で泥酔居眠り中に斬殺。犯人は福岡藩士・金子才吉。金子は当日中に藩に出頭、自白の上で自刃するが、事実は福岡藩により隠蔽され、土佐藩に嫌疑がかかった(イカロス号事件)。翌年、大隈重信の調査で真相が発覚。 1867年8月14日(新暦9月11日) - 水戸藩士で一橋家家臣・原市之進暗殺。 1867年9月3日 - 信濃上田藩士で軍学者の赤松小三郎暗殺。犯人は中村半次郎ら。 1867年11月15日(新暦12月10日) - 坂本龍馬、中岡慎太郎暗殺(近江屋事件)。犯人は諸説あるが京都見廻組説が最有力である。 1867年11月18日(新暦12月13日) - 元新選組で御陵衛士(高台寺党)頭・伊東甲子太郎暗殺(油小路事件)。犯人は大石鍬次郎ら。
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