村上真輔
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村上 真輔(むらかみ しんすけ、1798年(寛政10年)8月1日[1] - 1863年1月28日(文久2年12月9日))は、幕末赤穂藩の参政、儒学者。諱は允修[2]。字は伯徳(はくとく)、号は天谷(てんごく)。
- ^ a b 赤穂市歴史博物館『特別展図録 藩儒村上氏 -文久事件・高野の仇討ち-』赤穂市歴史博物館 2017年
- ^ a b c d 平尾道雄 著『維新暗殺秘録』白竜社 1967年
- ^ a b c 吉村洪一 『「故郷七十年」をよんで -村上真輔氏と河原翠城について-』 芸能学会 編『芸能』第4巻第10号 1962年10月1日発行 芸能発行所 P42-46
- ^ 片山伯山(編)、江原万理(著)『勤王の志士 鞍懸寅二郎 -原題 祖父の書翰-』鞍懸吉寅先生顕彰会 1961年、29 - 30p
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.48
- ^ 太田雪中 著 『明治維新赤穂志士高野の殉難』十五志士事績顕揚会 大正15年
- ^ 江原 69p
- ^ 柳田國男 著『故郷七十年』講談社学術文庫 2016年 ISBN 978-4062923934
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