幕末の江戸と明治初頭の東京とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 幕末の江戸と明治初頭の東京の意味・解説 

幕末の江戸と明治初頭の東京

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 01:58 UTC 版)

江戸」の記事における「幕末の江戸と明治初頭の東京」の解説

徳川幕府は実に260年ほども続いたが、幕末には内政でも外政でも、また後継者選び等でも問題山積の状態となり混乱来たした。 1862年文久2年)に参勤交代緩和され江戸武家人口激減政治的中心京都移り15代将徳川慶喜将軍として江戸一度居住しないような状態であった徳川家敵対する勢力によって一連の軍事的また政治的クーデターである明治維新が行われ、1868年明治元年)に発せられた江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書によって江戸「東京」改称され東京へ改称とともに町奉行支配地内管轄する東京府庁が開庁された。また天皇東京行幸により江戸城東京皇居とされた。 明治維新により徳川将軍家静岡転封された際にも人口減少した明治2年(1869年)に東京府新たに朱引引き直し朱引内側「市街地」外側を「郷村地」と定めた。この時の朱引範囲江戸時代の「墨引」の範囲おおむね相当し安政年間以降一時的に江戸組み込まれ品川などは、東京とは別の町として扱われ町数も1048(『府治類集』)に減った翌年には、最初京都にあった明治新政府東京移され、(江戸時代200年以上、江戸行政首都であったわけであるが、再び)日本事実上首都となった1871年廃藩置県が行われ、東京府新・東京府に置き換わった。

※この「幕末の江戸と明治初頭の東京」の解説は、「江戸」の解説の一部です。
「幕末の江戸と明治初頭の東京」を含む「江戸」の記事については、「江戸」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「幕末の江戸と明治初頭の東京」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「幕末の江戸と明治初頭の東京」の関連用語

1
6% |||||

幕末の江戸と明治初頭の東京のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



幕末の江戸と明治初頭の東京のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの江戸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS