幕末の英仏公使
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/20 16:41 UTC 版)
江戸幕末の1860年には、前年に赴任した初代駐日イギリス公使ラザフォード・オールコックが、外国人初の富士山登頂の帰りに熱海(大湯)に立ち寄ったが、愛犬トビー(スコティッシュ・テリア)が大湯間歇泉で火傷を負い死んでしまう出来事があり、村人が手厚く葬ったという。この出来事は本人の著作である『大君の都』内でも触れられており、熱海来訪の記念と愛犬トビー供養のために、現在、大湯間歇泉の北脇にはオールコックの記念レリーフとトビーの墓が設置されている。 また、第2代駐日フランス公使レオン・ロッシュも、度々熱海に湯治に訪れ、温泉療法で健康が回復したと祖国に手紙を書いている。
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