富士山登頂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 07:03 UTC 版)
「行よりも徳」を唱え、富士山での難行苦行に疑問を呈した三志だが、生涯に161回の富士登山をしたという。天保3年9月(1832年11月)には、女性信徒の高山たつ(1813-1876)を連れ、男装をさせて、女人禁制とされていた富士山登頂を成功させた。それ以前にも五合目あたりまでは女性も入山できる特別な日があったようだが、女性登頂者はたつが初めてとされる。三志がたつの登頂を導いたのは「振り変わり」の教えに基づくが、集客の拡大と収入増を願う富士の御師たちの思惑もあったと見られている。[要出典]
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