合同司令部自決とは? わかりやすく解説

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合同司令部自決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 10:48 UTC 版)

サイパンの戦い」の記事における「合同司令部自決」の解説

サイパン西岸進撃していた第2海兵師団第2海兵連隊は、6月25日サイパン最大市街地ガラパン攻撃開始していた。ガラパン日本の委任統治領となって経済発展続けたマリアナ中心であって各種公共施設軍施設加えて学校病院デパート映画館商店飲食店カフェなどに加えて遊郭なども建ち並ぶ近代的な都市となっていたが、上陸前空襲艦砲射撃により、市街大火災となって大半焼失していた。第2海兵連隊進撃に対して日本軍守備隊ガラパンにあった唯一のラジオ局周辺街頭鉄条網張って抵抗していた。日本兵ラジオ局南側にあった石切場洞窟立て籠もって、狙撃によって優勢なアメリカ軍対抗したが、アメリカ軍大量TNT爆薬洞窟ごと日本兵吹き飛ばしたこのようにアメリカ軍市街地立て籠もる日本軍建物ごと撃破したため、ガラパン市街アメリカ軍占領地域は全くの瓦礫の山となっており、わずかに残っていたのは2軒の真っ赤に塗られ木造建物だった。その建物中には色彩豊かな女性用着物や帯に加えて性病予防薬香水大量に散乱していたことから、海兵隊員はその建物を「ゲイシャハウス」と名付けた。 第2海兵師団によるガラパンへの本格的な攻撃7月1日からとなり、タポチョ山攻略した部隊加わった海兵隊にとってガラパン戦い第二次世界大戦初めての市街戦となったが、この頃には激しい砲爆撃によってまともに建っている建物は殆どなく、また僅かに残った建物アメリカ軍立て籠もる日本兵ごと爆破したため、「建物ひとつひとつ奪い合う」といったような市街戦定石とは全く異な戦いとなった日本海軍中心としたガラパン守備隊は、タポチョ山から撤退してきた陸軍部隊加えてガラパン起伏が多い地形活用したり、廃墟隠れて狙撃肉薄攻撃白兵突撃駆使して3日渡って飲まず食わず勇戦敢闘するも、周囲日本軍各部隊撤退しており、ガラパン守備隊退路断たれつつあったので、やむなく守備隊は、7月4日にはわずかばかり狙撃兵残して撤退した残され狙撃兵もまもなく海兵隊員掃討され、かつては南洋東京」などとも呼ばれて栄華誇ったガラパンは、90cmから120cm程度の高さの瓦礫の山化してアメリカ軍の手落ちた陸海軍合同司令部は、6月27日今後作戦指導検討した結果、「タナバク、221高地、タロホホの線を最後の抵抗線として戦闘続行する」と決定各部隊に新防衛線への移動開始7月2日とすることを通知した陸海軍合同司令部もタナバクから1,500m離れた位置にあった通称地獄谷」に後退することとし、「地獄谷にあった自然の洞穴最後司令部とした。斎藤は「地獄谷」に撤退する前に在島守備隊最後まで、わが空軍または増援部隊来着信じている。サイパン北端のパナデル飛行場完成急いでおりサイパン島防衛7月10日まで可能である」と切実な航空支援要請大本営第31軍打電しているが、実際に日本軍マッピ岬建設中であったパナデル飛行場最後まで死に物狂い工事しているのをアメリカ軍確認している。 6月18日よりナフタン半島敢闘してきた日本軍独立歩兵317大隊らの生存者500名は、アメリカ軍猛攻進退窮まった6月26日夜半大隊長佐々木指揮の下でイズリー飛行場混乱させ、味方主力合流すべく突撃敢行した。佐々木隊は「七生報国」を合言葉一心不乱に飛行場向けて突撃行った佐々木隊には十分な装備なく、飢え乾いていたが、一部将兵アメリカ軍から鹵獲したM1ガーランド武装していた。佐々木隊はイズリー飛行場への侵入成功して24人のアメリカ兵死傷させると、さらに滑走路侵入した20人は「P-47」の操縦席火炎瓶手榴弾投げ込んで爆破炎上させ、他の3機の機体タイヤ銃剣突いてズタズタにした。パイロット整備兵も銃を取って戦い飛行場大混戦となり、ある工兵隊将校大混乱飛行場ジープ乗り付けると、射撃していた日本兵そのままジープ轢き殺した飛行場混乱させるという目的達した佐々木日本軍主力との合流目指したが、既に主力北方撤退しており、部隊一部は第14海兵砲兵連隊陣地突入し激戦の末、海兵隊員33人と日本兵143人が戦死した。また別の部隊は第104野砲大隊陣地にも突入し20名のアメリカ軍砲兵戦死した6月27日の朝には残った日本兵掃討されて、ナフタン半島アメリカ軍確保された。6月28日半島南端達したアメリカ軍は、海岸砲として設置されていたイギリス軍から鹵獲した6インチ砲4門、50口径三年式14cm砲3門とレーダー鹵獲した。それでも、わずかに生き残った日本兵はイズリー飛行場付近に潜み、出撃するため航空機乗り込もうとするパイロット狙撃したため、その後飛行場付近探索続けられた。ナフタン半島での戦いホーランド・スミス日本軍戦力読み違えていたこともあり、第105歩兵連隊戦いぶりに「1000人のアメリカ人一握りジャップ翻弄されている」と不満を抱きスミスV Sスミス事件』の一因ともなっている。 日本軍守備隊崩壊深刻な水準となっており、7月2日待たず後方退却する部隊続出したが、アメリカ軍進撃早く、新防衛にたどり着く事ができず壊滅する部隊多かった歩兵136連隊主力撤退途中アメリカ軍包囲され7月4日連隊長小川司令部要員アメリカ軍165連隊戦闘指揮所不意に遭遇し日米連隊司令部同士銃撃戦となり、日本軍136連隊小川を含む司令部要員27名が全員戦死したアメリカ軍砲撃激化しており、地獄谷合同司令部付近に着弾し第31軍高級参謀伊藤誠大佐戦死師団長斎藤負傷したサイパン東側進んでいた第4海兵師団はカグマン半島攻略北上続けていたが、サイパン北上するにつれて進撃路が狭くなるため、ホーランド・スミス並んで進撃していた3個師団のうち第2海兵師団後方下げて西側に第27歩兵師団東側に第4海兵師団配置しサイパン北端マッピ岬向けて進撃させた。 アメリカ軍攻勢が強まる中で新防衛線もアメリカ軍突破されるの時間の問題となり、合同司令部今後の方針について協議し、さらに島の北端まで撤退するか、全軍挙げて玉砕攻勢を行うかの二者択一迫られたが、7月7日をもって全軍玉砕突撃し全員の死を以って太平洋防波堤となる事に決した7月5日に、第135連隊と第118連隊軍旗を奉焼すると、中部太平洋方面艦隊司令長官南雲と第43師団長斎藤は全将兵に対して明後7日、米鬼を索めて攻撃前進し一人よく十人を斃し以って全員玉砕せんとす」「予は諸隊奮戦敢闘期待し聖寿歳と皇国繁栄祈念しつつ諸士とともに玉砕す」 と総攻撃命令行った。そして7月6日南雲全軍に 「サイパン全島皇軍将兵告ぐ、米鬼進攻企画してより茲に旬余在島皇軍陸海軍将兵及び軍属は、克く協力一致善戦敢闘随所皇軍面目発揮し負託の任を完遂せしことを期せり、然るに天の時を得ず、地の利占むる能はず、人の和以って今日に及び、今や戦ふに資材なく、攻むるに砲熕悉く破壊し戦友相次いで斃る、無念七生報国誓ふに、而も敵の暴虐な進攻依然たり、サイパン一角占有と雖も徒に熾烈なる砲爆撃下に散華するに過ぎず今や止まるも死、進むも死、死生命あり須く其の時を得て、帝国男児真骨頂発揮する要す、余は残留諸子と共に断乎進んで米鬼に一撃加へ太平洋防波堤となりてサイパン島骨を埋めんとす。戦陣訓曰く生きて虜囚の辱を受けず勇躍全力尽して従容として悠久大義生きる悦びとすべし」 との訓示行った。第43師団参謀中佐によればその後午前10時に、南雲斎藤第31軍参謀長井桁の3人の将官肌着着替え入念に掃き清められた台座の上座って自決儀式行った。3人の後ろには拳銃構えた高級副官が立ち、南雲の高級副官が「よろしゅうございましょうか」と尋ねると南雲が「どうぞ」と答え、それを合図に3人の将官日本古式乗っ取って持っていた軍刀を腹に突き立てると、高級副官らは持っていた拳銃介錯行った。 しかし、南雲らの最後に異説もある。南雲最後まで付き添った従兵石川太郎によれば海軍南雲陸軍斎藤井桁は、南雲訓示の後には別行動取っており、負傷により突撃同行できなかった斎藤井桁7月6日夜に自決したが、南雲は翌7月7日午前3時海軍部隊先頭立って突撃指揮した南雲たちは海岸線3km進んだタナバク港付近まで達したが、南雲機銃弾を受けて重症負ってしまった。そこで、石川ともう1人水兵南雲洞窟担ぎ込んだが、午前4時30分ごろに最期覚悟した南雲日本の方を向いて天皇陛下歳」と叫んで持っていた拳銃を頭に撃ち込んで自決したという。しかし、この証言に対しては同じ海軍から疑問なげかけられており、ある海軍上等兵曹氏名不詳によれば南雲総攻撃同行することはなく、海軍部隊出撃見送った7月7日午前10時30分に、中部太平洋方面艦隊参謀長兼第14航空艦隊参謀長矢野英雄少将自決したという。他にも、南雲訓示終えた後、陸海軍司令官参謀たちは最後の盃交わして別れ南雲海軍司令官参謀らはその後自決したが、斎藤は翌7月7日最後の総攻撃出撃する将兵見送った後に自決したという証言もある。また、志願従軍看護婦となったサイパン島日本人住民菅野静子によれば斎藤負傷左腕根本から砕かれているような重篤なもので、菅野は自ら輸血申し出て手術が行われた。その後斎藤衰弱著しく野戦病院壕の近く地下壕寝たきりであったという。

※この「合同司令部自決」の解説は、「サイパンの戦い」の解説の一部です。
「合同司令部自決」を含む「サイパンの戦い」の記事については、「サイパンの戦い」の概要を参照ください。

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