リベラリズム
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「liberalism(リベラリズム)」の定訳である「自由主義」を誤訳であるとし、自由ではなく正義こそがリベラリズムの根幹思想だとする。リベラリズムは「啓蒙」と「寛容」からなり、理性によって人間を伝統や慣習から解放する啓蒙的姿勢。そして、理性の限界が存在することを受け入れ、自分達の考えが必ずしも正しくない可能性に直面した上で、他者からの批判を受けて自身が変化することも許容する寛容的姿勢。この二つを合わせた規範概念がリベラリズムであるとする。その結果として導かれるのは、他者との対話を通してより良い正義の実現を目指す姿勢であり、すなわち熟議を通した民主政であるとしている。
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リベラリズム(自由主義)
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「国際政治経済学」の記事における「リベラリズム(自由主義)」の解説
経済学の用語では、リベラリズムは、古典派経済学、新古典派経済学、オーストリア学派、シカゴ学派と関連したアプローチである。 推奨される政策貿易に対する国家の統制や規制を最小限あるいは撤廃する。輸出品目を生産する組織の民営化を要求する。 歴史リベラリズムのアプローチは、アダム・スミスの業績、つまり、重商主義に対するスミス主義革命の黎明期における経済学とされるものに遡ることができる。スミスは、最も効率的な方法で希少資源を付加価値のある商品やサービスに変えるうえで、競争の恩恵と分業を奨励した。自由市場の仕組みがどのように個々のアクターによる利己的な行動を社会全体にとって最大利益へと変えるのかについてのシンボルである、見えざる手について言及した。リベラリズムへの貢献は、デイヴィッド・リカードによってなされ、彼の比較優位説は、異なる国家間の貿易が、たとえ他国を犠牲にすることで利益を得ると直感的に感じている状況であっても、双方にとって利益となると論じた。リベラリズムの見方は、18世紀にスミスによって提起されて以来、西欧の学界で強い。代替システムであるケインズ主義が大学などで広範な支持を獲得したのは1940年代から1970年代初めの間である。ジョン・メイナード・ケインズは、国内のマクロ経済政策に主に関心を持っていたが、しかし、IPEにおいて、彼の成熟した見解は公的パワーと私的パワーの中間を求め、グローバルな金融管理体制を好んだ点でリアリズムの範疇に合致する。ケインズ主義的合意は。1950年代にすでに、フリードリヒ・ハイエクのオーストリア学派とミルトン・フリードマンのシカゴ学派の批判によって後に挑戦を受け、1970年代には、支配的な影響力を奪うことになった。戦争の経済的帰結や平和促進の経済的手段についての考えを含む国際関係へのケインズのアプローチは、2008年以降のグローバルな金融危機および不況の到来によって、特にドナルド・マークウェルの研究を通じて、注目されている。 政策立案の領域では、西欧諸国は、リベラリズムとリアリズム双方の見方に立った混合的な課題を追求してきた。これは、一時的にほかの学派が優勢だった時期があるけれども、近代商業時代から現代まで当てはまる。1914年にいたる時期は、実際のところ諸国が重商主義イデオロギーに部分的に影響されていたといっても、古典派経済学の黄金期であると時に描写される。第二次大戦後、ブレトン・ウッズ体制が創設されたが、それは、民間商業に行動の自由を認める一方で、政府が国際金融を管理することを許容する点で本質的にリアリズム的な構築物である。1971年、リチャード・ニクソン大統領は、ブレトン・ウッズ協定の反転を開始し、2008年まで、国際貿易と金融のいっそうの自由化の波が続いた。国内的には、1970年代以上の大西洋諸国や、1990年代以降の中国やインドなどのアジアの大国もまたリアリズムとリベラリズムの政策の組み合わせを追求した。アメリカ財務省やIMFによって強制的に全面的な自由化の実行を迫られた中小国はさまざまな危機に直面した。2008年、リベラリズムの影響は、ケインズ主義の再登場で衰退していった。2008年後半からは、世界各国の指導者たちは、新たなブレトン・ウッズ体制をますます求めている。
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リベラリズム
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詳細は「自由主義」、「理性主義」、「啓蒙主義」、および「寛容」を参照 リベラリズム(自由主義)は、中世的な教会や諸領主による権威や宿命論に対して、「人間には自由に判断し決定する事が可能であり、自己決定権を持つ」という政治哲学であり、18世紀ヨーロッパで啓蒙主義として広まった。当初の主題は宗教改革での信教の自由であり、三十年戦争後のヴェストファーレン条約により近代的な主権国家が誕生して、国家単位での信教の自由が確立した。このため異なる宗教を持つ間で寛容や多様性の概念が重要となった(政治的リベラリズム、多元主義)。またプロテスタント内部よりリベラリズム(自由主義神学)が発生した。 いかなる私人も、教会や宗教の違いを理由として、他人の社会的権利の享有をそこなう権利を持ってはおりません。…(中略)…いや、われわれはたんなる正義という狭い限度に満足することなく、慈愛、博愛、寛大がそれに加えられねばなりません。 — ジョン・ロック『寛容についての書簡』 またイギリスの清教徒革命・名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命などのブルジョワ革命(市民革命)によってブルジョワジーが実権を握り、アダム・スミスに代表される個人主義的な私有財産権に基づいたレッセフェールによる経済的リベラリズム(古典的リベラリズム、自由主義経済、資本主義)が進展すると、伝統的な共同体の解体、都市への人口集中、プロレタリアートとの貧富拡大や劣悪な労働条件、世界恐慌の発生など社会不安が増大し、各種の社会主義の台頭(改良主義的な社会民主主義、私有財産権の制限・廃止と暴力革命を主張する共産主義などの集産主義)、あるいは植民地獲得競争やブロック経済などが進展した(帝国主義、ファシズム、統制経済)。ジョン・メイナード・ケインズらは、リベラリズムの立場から有効需要理論を唱え、政府による金融政策や、公共事業などの財政政策により非自発的失業を最小にできると主張した。またヨーロッパ諸国では福祉国家論などが進められた(修正資本主義、混合経済)。これらの社会的公正を重視したリベラリズムは、ニュー・リベラリズム(新自由主義)やソーシャル・リベラリズム(社会自由主義)と呼ばれるようになった。(後述のように、アメリカ合衆国では単に「リベラリズム」との呼称が普及した影響で、従来の古典的リベラリストの一部はリバタリアニズムを名乗るようになった。)その後、フリードリヒ・ハイエクなど、古典的リベラリズムの復権を主張してケインズ主義などを社会主義的と批判する立場は、ネオ・リベラリズム(新自由主義)とも呼ばれるようになった。
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