落城とは? わかりやすく解説

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らく‐じょう〔‐ジヤウ〕【落城】

読み方:らくじょう

[名](スル)

敵に城を攻め落とされること。「兵糧攻めで—する」

もちこたえられず降参すること。また、くどかれて拒みきれずに承知すること。「泣き落としかかって—する」

[補説] 書名別項。→落城


らくじょう〔ラクジヤウ〕【落城】

読み方:らくじょう

田宮虎彦歴史小説昭和24年1949発表東北地方架空の藩、黒悲劇描いた連作小説一つ同作表題作とする小説集は他に「末期の水」「寿命」などの作品収め昭和26年1951刊行


落城

作者田宮虎彦

収載図書昭和文学全集 32 中短編小説集
出版社小学館
刊行年月1989.8

収載図書時代小説を読む 城之巻
出版社大陸書房
刊行年月1991.1

収載図書日本名列伝
出版社大陸書房
刊行年月1992.5
シリーズ名大陸文庫

収載図書足摺岬田宮虎彦作品集
出版社講談社
刊行年月1999.9
シリーズ名講談社文芸文庫

収載図書歴史への視点 新装版
出版社學藝書林
刊行年月2004.8
シリーズ名全集 現代文学発見


落城

作者浅井和昭

収載図書あやとり
出版社新風舎
刊行年月2006.9


陥落

( 落城 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 22:37 UTC 版)

陥落(かんらく)とは、地面などが落ち込むこと、城塞などの軍事拠点が攻め落とされること。転じて人や団体がその地位を失う、降格する、追われることや、口説き落とされることもいう。




「陥落」の続きの解説一覧

落城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/06 16:48 UTC 版)

佐東銀山城の戦い」の記事における「落城」の解説

尼子氏敗走聞いた信実と幸清は、その夜の内に城から脱出し大雪紛れて出雲逃亡した孤立した佐東銀山城には、武田氏一族である武田信重残された。大内軍は、吉田郡山城の戦い乗じて大内反旗を翻した桜尾城攻め一方佐東銀山城には元就差し向けた。信重と残る家臣たちは守兵300余で抗戦するも、銀山城5月に落城。信重は自害したその後、この城は大内氏のものとなり、大内方城番置かれることとなった佐東銀山城を落とすにあたり元就は、火を点けた草鞋1000足を夜の太田川流し籠城する武田軍動揺与えたという伝承残されている。これによると、難攻不落と言われる佐東銀山城搦め手(裏)から攻めることを計画した元就は、山の裏手側にある長楽寺毛利軍動きを鐘で籠城側に知らせないよう調略さらには城兵注意大手(表)に引きつけるために、油に浸して火を付けた多数草鞋太田川から流した。これにより、毛利軍佐東銀山城背後から急襲することに成功し城兵総崩れとなったという。なお、1000足の草鞋流されとされる太田川岸には千足広島市東区戸坂)という地名がある。またこの時、大内軍は矢賀中山尾長3境界の峠を越えて武田氏属す白井氏(安芸府中領主)を攻略し以後この峠は「大内越峠」(おうちごだお)と呼ばれるようになった矢賀村参照)。

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落城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:12 UTC 版)

応永の乱」の記事における「落城」の解説

堺では幕府軍総攻撃撃退した大内勢が意気揚げていた。しかし、幕府軍火攻め計画して左義長爆竹)を用意して道を整え12月21日早朝総攻撃開始した幕府軍強風乗じて城中火を放ち矢倉倒して激しく攻め寄せた備中守は今日最後の戦いになると覚悟し山名河口)満氏(氏清の子宮田時清(既述)の弟)の陣に突撃して見事な討死遂げた。これを見ていた義弘項羽討死故事を引き、自分後代に残るような最期を遂げようと決意する義弘幕府軍北側の陣へ斬り込み大太刀振るって奮戦管領畠山基国嫡子満家の軍勢200騎がこれに挑むが、義弘はよき敵であると僅か30騎でさんざんに戦ったその時石見住人200騎が幕府軍内応してしまう。激怒した義弘石見勢に攻めかかり、恐怖した石見勢は逃げ散った義弘はなおも満家を討ち取ろう戦い続け幕府軍はこれを取り囲んで攻め立てた義弘の手勢は次第に数を減らし民部丞ひとりになってしまった。民部丞義弘守って敵陣斬り込み奮戦して討死した。一人になった義弘は満家を目がけて戦い続けるが、取り囲まれ遂に尽きて天下無双名将大内義弘入道である。討ち取って将軍御目にかけよ」と大音声発して討ち取られた。 南側固めていた杉豊後守は義弘の死を知らされ敵陣切り込んで討死東側固めていた弘茂は今川勢、一色勢を相手戦っていたが、手勢討ち減らされ最早これまで自害しようとした平井備前入道押し止め降伏勧め、弘茂もこれに従ったその他の大内勢も落ち延びる自害して、堺は落城した。 鎌倉公方足利満兼武蔵府中から下野足利荘栃木県足利市)まで進軍するが、義弘敗死の報を聞いて鎌倉引き返した

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落城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 13:58 UTC 版)

秀吉 (プロレスラー)」の記事における「落城」の解説

リフトアップスラム体勢から相手両脚掴んでフェイスバスターの形で落とす技。雪崩式で行うこともある。

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落城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 16:55 UTC 版)

二本松の戦い」の記事における「落城」の解説

大壇始めとする城外陣地をほぼ攻略され、二本松藩指揮官らは二本松城撤退して最後の抵抗移ろうとしていた。長国米沢藩脱出させた際に仙台藩護衛がついたが、それはそのまま同盟対す人質となって二本松藩降伏を選ぶことができなかった。二本松藩望み会津藩仙台藩援軍だが、両藩とも大軍割ける状態ではなく派遣され援軍二本松城にたどり着く前に要所置かれ新政府軍によって半壊被害受けて撤退してしまっていた。また、城内仙台藩兵、会津藩兵も城を脱出し、後には逃げ場所のない二本松藩兵のみが残された。 29日正午二本松城にこもる重臣らは抵抗をついに断念する。城に自ら火を放つと、家老の富穀以下7名は次々と自刃して城と運命をともにした。この時、城内城外新政府軍によって隔てられ城外にあった二本松少年隊指示を送ることができなかったことがさらなる悲劇もたらす激戦最中二本松少年隊隊長副隊長相次いで戦死し指揮できる者がいない中、二本松少年隊40名は最前線放置される事態に陥っていた。彼らは戦場彷徨う果て1人ずつ離れ離れになり、ついに新政府軍との戦闘巻き込まれ1人1人命を落としていく。その中には13歳になる少年兵遭遇した土佐藩兵が、幼さ驚愕し生け捕りにしようとするも、抵抗されたために射殺するしかなかったケースもあった。 この落城により、二本松藩家老以下18の上級職全て戦死した二本松藩死者218名に及び、その中には13歳から17歳までの少年兵18名も含まれている。会津藩39名、仙台藩19名の死者出し対す新政府軍17名の死者に留まったが、二本松藩激し抵抗により多く戦傷者発生しその戦いぶりは当時一部隊の隊長だった野津道貫によって「戊辰戦争第一激戦」と賞された。

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落城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/07 14:42 UTC 版)

小田井原の戦い」の記事における「落城」の解説

武田軍討ち取った敵兵3000首級志賀城目前並べて晒して威嚇救援望みが全く立たれ城兵士気大きく衰えた8月10日9月23日)、武田軍総攻めをしかけ、外曲輪、二の曲輪焼き落とされる。翌11日武田軍は残る本曲輪攻め城主笠原清繁関東管領からの援軍高田憲頼は討ち取られ落城した。 武田晴信敵兵への処置厳しく捕虜となった城兵奴隷労働者とされ、女子供売り払われた。この時代合戦では捕虜報酬として将兵分け与えられ金銭親族身請けさせることがよく行われたが、この合戦捕虜値段は非常に高額身請けができず、ほとんどが人買い売買されたという。笠原清繁夫人城攻め活躍した郡内衆の小山田信有与えられ妾とされた。江戸時代編纂された『甲斐国志』には悲運涙に暮れ笠原清繁夫人哀話残されている。

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