1988年死刑確定囚とは? わかりやすく解説

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1988年死刑確定囚(11人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:37 UTC 版)

日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の記事における「1988年死刑確定囚(11人)」の解説

事件名死刑囚名)判決確定事件発生備考執行日など)福岡連続保険金殺人事件浜田武重) 1988年3月8日 1978年3月24日 - 25日1978年7月1日1979年5月9日 1927年昭和2年3月10日生まれ内縁の妻(一審公判中に死亡)と共謀して内縁妻の子供(当時16歳)を農業用水路で水死見せかけ殺害するなど、3件の殺人事件起こして被害者2人保険金約1,100万円を詐取した。3件中2件の殺人について無罪主張していたが、1982年3月29日福岡地裁秋吉重臣裁判長)で死刑判決を受け、1984年6月19日福岡高裁山本茂裁判長)で控訴棄却判決1988年3月8日最高裁伊藤正己裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定福岡拘置所収監されていたが、2017年6月26日所内死亡90歳没・当時確定死刑囚最高齢)。 北九州市病院長殺害事件 (S) 1988年5月18日 1979年11月4日 - 5日 1946年昭和21年10月19日生まれ釣具経営本籍地福岡県北九州市小倉北区昭和町住居は同区木町一丁目北九州市大病院経営していた院長殺害して大金強奪することを計画し大金奪取には失敗したものの、被害者殺害して死体切断遺棄した。1982年3月16日福岡地裁小倉支部佐野精孝裁判長)で死刑判決を受け、1984年3月14日福岡高裁緒方誠哉裁判長)で控訴棄却判決受けた1988年4月15日最高裁第二小法廷香川保一裁判長)で上告棄却判決を受ける。判決訂正申立同年5月17日付の決定事件番号昭和63年(み)第4号]で棄却され、翌18日付で死刑確定1983年最高裁で「永山基準」が示され以降殺害され被害者1人殺人事件で、複数被告人死刑判決言い渡され確定した唯一の事例1996年7月11日福岡拘置所死刑執行49歳没)。自力再審請求していたとされるが、詳細不明北九州市病院長殺害事件 (Y) 1988年5月18日 1979年11月4日 - 5日 1952年昭和27年9月5日生まれスナック経営本籍地および住居北九州市戸畑区椎ノ木町上記Sの共犯裁判経緯はいずれ同上)。1996年7月11日福岡拘置所死刑執行43歳没)。再審請求準備中だった。 日立女子中学生誘拐殺人事件 (W) 1988年6月3日 1978年10月16日 1939年昭和14年3月25日生まれ1978年10月16日茨城県日立市久慈町で、下校途中義妹金融業などを経営していた男性の娘/当時14歳市立久慈中学校3年生)を身代金目的誘拐被害者クロロホルムを嗅がせて気絶させ、車内で鼻・首を押さえつけて殺害し死体山中遺棄し上で家族身代金3,000万円要求したが、金を奪うことはできず、韓国へ逃走しようしたものの、3日後に逮捕された。動機経営していた鉄工所が、石油ショック経営難陥ったことに加えキーセン旅行何度も行ったことから、1,400万円負債重ねたことだった。第一審控訴審では捜査段階での「身代金目当て」という主張翻し誘拐事実わいせつ行為否認した1980年2月8日水戸地裁刑事部大関隆夫裁判長)で死刑判決を受け、1983年3月15日東京高裁第6刑事部菅野英男裁判長)で控訴棄却判決受けた上告審ではわいせつ行為認めた上で、「犯行動機いたずら目的で、自分捜査の手伸びないように電話で金を要求し身代金目的誘拐装った捜査段階で『身代金目当て』と自白したのも、いたずら事実隠したかったため」などと主張し死刑制度違憲論訴えて無期懲役への減軽求めたが、1988年4月28日最高裁第一小法廷角田礼次郎裁判長)で上告棄却判決受けた判決への訂正申立も、同年6月2日付の決定事件番号昭和63年(み)第8号]で棄却され翌日6月3日)付で死刑確定東京拘置所収監されていたが、2013年6月上旬くも膜下出血倒れ同月23日夜に病死74歳没・当時再審請求中)。 群馬連続女性農夫殺害事件 (S) 1988年6月7日 1981年10月2日1982年7月3日 1927年昭和2年2月2日生まれ強盗致傷罪懲役8年処せられたほか、強姦致傷殺人死体遺棄の罪で無期懲役刑処され受刑者が、仮釈放中に再犯した事件群馬県境町佐波郡/現:伊勢崎市)および宮城村勢多郡/現:前橋市)で、女性2人相次いで殺害。このほか、1947年10月15日夫婦殺傷した強盗殺傷事件自供したが、同事件は既に公訴時効成立していた。殺人および強姦致傷の罪に問われ1983年12月26日前橋地裁小林宣雄裁判長)で死刑判決を受け、1985年1月17日東京高裁小野啓裁判長)で控訴棄却判決受けた1988年6月20日最高裁第二小法廷奥野久之裁判長)で上告棄却判決を受け、判決への訂正申立同年6月6日付の決定棄却されたため、翌日6月7日)付で死刑確定1995年12月21日東京拘置所死刑執行68歳没)。 男娼連続強盗殺人事件 (W) 1988年6月2日 1967年4月24日1967年8月5日1972年4月10日1973年3月20日 1948年昭和23年3月17日生まれ2020年9月27日時点大阪拘置所収監中(現在74歳)。以下の事件起こした被害者売春婦3人・男娼1人)。前半2件は少年時代犯行少年死刑囚)。1967年昭和42年4月24日朝(当時19歳)、愛知県名古屋市中区葉場町旅館同宿した女性当時36歳)を絞殺し現金35,000円を奪った1967年4月10日当時19歳)、大阪府大阪市西成区ホテル女性当時39歳)を絞殺し現金2,000円を奪った1972年昭和47年8月5日未明当時24歳)、大阪市天王寺区茶臼山町客引きしていた男性当時26歳)を絞殺し現金2,000円などを奪った1973年昭和48年3月20日当時25歳)、大阪市浪速区ホテル女性当時40歳)を絞殺しがま口現金640円入り)・腕時計などを奪った第一審・大阪地裁大政正一裁判長)で1975年8月29日無期懲役判決受けたが、控訴審・大阪高裁西村哲夫裁判長)で1978年5月30日一審破棄死刑判決1988年6月2日最高裁第一小法廷高島益郎裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑確定判決への訂正申立も、同年6月27日付の決定棄却。4件中2件は無実主張神田ビル放火殺人事件 (I) 1988年7月12日 1981年7月6日 1947年昭和22年8月23日生まれ本籍地東京都三鷹市下連雀六丁目住居東京都田無市(現:西東京市北原二丁目酒色溺れて多額会社資金使い込んだことから、証拠となる帳簿類を焼却し会社所有現金入手した上で逃走することを計画深夜、それを実行する過程で、妨げとなった会社上司ビル管理人殺害するとともに現金252万円余り強取してビル一部焼燬した。1982年12月7日東京高裁大関規雄裁判長)で死刑判決を受け、起訴から1年半後となる1984年3月15日東京高裁寺沢裁判長)で控訴棄却判決1988年7月1日最高裁第二小法廷奥野久之裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑確定1996年7月11日東京拘置所死刑執行48歳没)。 夕張保険金殺人事件 (HN) 1988年10月11日 1984年5月5日 1947年昭和22年生まれ下記HYの妻。女性死刑囚としては戦後3人目処刑された。裁判経緯は夫と同一1997年8月1日札幌刑務所札幌拘置支所死刑執行51歳没)。 夕張保険金殺人事件 (HY) 1988年10月13日 1984年5月5日 1944年昭和19年生まれ夫婦による犯行で、上記HNの夫。現住建造物等放火殺人詐欺罪問われた。放火認めた一方で殺意否認したが、1987年3月9日に妻とともに札幌地裁鈴木勝利裁判長)で死刑判決受けたその後、妻とともに量刑不当理由札幌高裁控訴していたが、1988年10月11日2人とも控訴取り下げ死刑確定。これは(昭和天皇容体悪化により)恩赦期待したのだったが、恩赦はされず、1996年5月には夫だけが控訴取り下げ無効申し立てたが、札幌高裁最高裁ともにこれを棄却し、1997年6月までにすべて審理終えていた。1997年8月1日札幌刑務所札幌拘置支所死刑執行54歳没)。 東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (H) 1988年10月17日 1978年5月21日1978年6月10日 社長務めていた会社経営行き詰まり役員Nとともに金品を奪う目的銀座クラブママなど2人殺害1978年7月10日にNとともに逮捕1980年1月18日東京地裁小野幹雄裁判長)で死刑判決を受け、1982年1月21日東京高裁市川郁雄裁判長)で控訴棄却判決恩赦期待して1988年10月22日付で上告取り下げ死刑確定したが、恩赦はされなかった。共犯Nは1990年2月最高裁で死刑確定1996年12月20日東京拘置所死刑執行60歳没)。 元昭石油重役一家殺害事件 (I) 1988年10月22日 1983年1月29日 1984年6月5日東京地裁佐藤文哉裁判長)で死刑判決を受け、1985年11月29日東京高裁内藤丈夫裁判長)で控訴棄却判決恩赦期待したためか1988年10月22日付で上告取り下げ死刑確定した恩赦はされなかった。1996年12月20日東京拘置所死刑執行55歳没)。

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