風雲秘密探偵録とは? わかりやすく解説

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風雲秘密探偵録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 08:25 UTC 版)

風雲秘密探偵録』(ふううんひみつたんていろく)は、幕末期、江戸定府の久保田藩(秋田藩)士であった国学者平田銕胤平田篤胤女婿)・平田延胤(銕胤嫡男、篤胤嫡孫)父子が京都および江戸を奔走し、国事にかかわる秘密を探索して、藩当局に報告した自筆の報告書、探索書[1]写本、全4冊[1]東京大学史料編纂所所蔵[1]


注釈

  1. ^ 天保12年まで家老を勤めた小野岡義音は篤胤以来の昵懇であり、小野岡義般はその嫡子で天保11年に気吹舎に入門、その子息の義礼は安政5年に家老職に就いたが、かれもまた平田国学を支持していた。天野「幕末平田国学と秋田藩」
  2. ^ 『風雲秘密探偵録』では、坂下門外の変にかかわった横田藤太郎児島強介が幕吏によって捕縛され、横田藤四郎が逃亡した事実を報告しているが、強介が安政6年(1859年)に師岡正胤の紹介で気吹舎に入門していた事実は伏せられていた。宮地(1994)p.244
  3. ^ このことは、江戸の銕胤から各地の有力門人たちに書状で通知されたが、門人たちは復古の気運が目前に迫ったとして喜びにわいた。宮地『幕末維新変革史・上』(2012)p.335
  4. ^ 古川将作の建白書では、神祇官再興こそが「皇綱更張」の土台になるものであると主張し、尾張国熱田神宮の尊崇、式内社の調査、山稜使の復活、寺請証文を廃止して白川家からの証文とすること、吉田家による神宮例幣使派遣儀式の中止、神職に対しては受領名を禁じて叙位のみとすること、蝦夷地(現、北海道)に神社一社を創建することなどが建言されている。宮地(1994)p.245
  5. ^ 信濃国伊那谷の女性勤王家松尾多勢子もこの事件に関わっているとして会津藩から追われる身となったが、長州藩京屋敷にかくまわれ、大坂・大和伊勢を経由して帰郷した。伊那では、多くの志士をかくまい、また援助している。
  6. ^ 岡山藩の陪臣野呂久左衛門が事件に関与していたことによる。宮地(1994)p.246
  7. ^ 中山道を経て江戸へ帰る銕胤・延胤らは途中、美濃国中津川宿市岡殷政間秀矩らの門人たちから熱烈な歓待を受けたが、そのなかには隣宿馬籠宿の名主島崎正樹島崎藤村の父)も加わっていた。宮地『幕末維新変革史・下』(2012)p.104
  8. ^ 杉浦誠は、長崎奉行を経て最後の箱館奉行となった人物。明治2年の開拓使設置後は、その経験を買われて函館の開拓使出張所に主任宮として着任した。
  9. ^ 文久2年、西川吉輔の紹介で野呂、岡元の主君である岡山藩の重臣土肥典膳が入門している。宮地(1994)pp.259-260
  10. ^ 慶応2年(1866年8月21日、矢野玄道、近藤義邦、池村邦則、池村邦雄らは池村宅で「平田故翁御祭」をとりおこなっている。宮地(1994)p.280

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