市岡殷政
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市岡 殷政(いちおか しげまさ、文化10年4月3日(1813年5月3日)- 明治21年(1888年)8月24日)は、幕末から明治時代にかけての国学者、歌人。中山道中津川宿の名主で中津川本陣の当主。
注釈
- ^ 隣宿の馬籠宿本陣島崎正樹(藤村の父、『夜明け前』の青山半蔵)もまた、殷政や間半兵衛とともに長世から和歌を学んだ間柄であった。宮地『幕末維新変革史・上』(2012)p.254
- ^ 殷政は同志の助けも借りて『風説留』という丹念な記録をのこしており、市岡家に所有(中津川市中山道歴史資料館に寄託)されている。宮地『幕末維新変革史・上』(2012)pp.198-199,470
- ^ 岩崎長世は平田銕胤に対し詳細な書状を送っており、和宮降嫁行列の荷物運搬にかり出される助郷人足が3日食事を与えられぬどころか逃亡者を竹で打ち付けたり、鉄砲で撃つなど言葉にできないほどの仕打ちを受けたことを伝えている。宮地「幕末平田国学と政治情報」(1994)pp.242-243・宮地『幕末維新変革史・上』(2012)pp.253-254
出典
- ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、116頁。
- ^ a b c d e f 國學院大學 国学関連人物データベース「市岡殷政」
- ^ a b c 宮地『幕末維新変革史・下』(2012)pp.91-93
- ^ a b 宮地「幕末平田国学と政治情報」(1994)pp.275-277
- ^ a b c d 宮地『幕末維新変革史・下』(2012)p.98
- ^ a b 宮地『幕末維新変革史・上』(2012)pp.427-430
- ^ a b c d 宮地『幕末維新変革史・下』(2012)pp.100-102
- ^ a b 中山道歴史資料館「展示案内」
- ^ 宮地『幕末維新変革史・下』(2012)pp.103-104
- ^ 宮地『幕末維新変革史・上』(2012)pp.198-199
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