慶応3年から4年まで
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「風雲秘密探偵録」の記事における「慶応3年から4年まで」の解説
元治元年に途絶えた平田報告が『風雲秘密探偵録』に再登場するのは、慶応3年(1867年)9月のことである。大政奉還の経過とその後の朝廷政治、江戸の政治状況などが報じられ、戊辰戦争の端緒となる翌慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの報告で探索書は終わっている。 江戸に滞在していた佐竹義堯は12月9日に王政復古の大号令が発せられたことを知るや、ただちにいったん国許に引き上げて状況を見きわめようとし、そのための京都工作に本学頭取の平田銕胤をあて、彼に対し、12月20日に藩主建白を携行して上京するよう命じた。また、嫡子延胤に対しては3年前の遠慮処分を解き、やはり12月10日付で本学教授に任命したうえで、みずからの帰国に随伴させたのであった。
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