経過とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/21 13:35 UTC 版)
「サン・ホアキンの拿捕」の記事における「経過とその後」の解説
デュ・カッセはカルタヘナの守備にフリゲートのギャラード(Gallarde)を残した。デュ・カッセ艦隊は出港した日にリトルトン艦隊に発見されたが、嵐により海戦にはならず、両艦隊ともに散らばった。デュ・カッセ艦隊はデュ・カッセ本人を含む大半がカルタヘナに戻ったが、彼らはビリャヌエバに知らせなかった。その結果、8月7日にサン・ホアキンが小型船1隻とともにほかの艦隊からはぐれている状態で別の艦隊を発見したとき、ビリャヌエバは艦隊がデュ・カッセ艦隊であると勘違いしたのであった(実際にはリトルトン艦隊だった)。 ビリャヌエバが自身のミスに気づいたときにはすでに逃げられなくなったため、彼は海戦に入ることを選択した。その後の海戦は20分も経たずに終結、サン・ホアキンは帆柱が折れ、多くの死傷者が出た。ビリャヌエバはリトルトン艦隊に包囲され、マスケット銃の射撃で致命傷を負ったが、直後に白旗を挙げて降伏した。リトルトンはソールズベリーからサン・ホアキンに乗船して降伏を受け入れた。ジャージーに乗っていたヴァーノンは逃走を試みた小型船を拿捕した。イギリス艦隊はポート・ロイヤルに戻り、ガレオン拿捕の報酬を艦長の間で山分けした。スペイン王フェリペ5世の命令により、財宝がフランス船に移された。海戦から3日後、デュ・カッセはサン・ホアキンが失われたことを知り、カルタヘナを発って、マルティニーク、ペンサコーラを経由してスペインに帰還した。
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