経過、事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 09:24 UTC 版)
香港民族党の設立に対し、中国メディアは「血迷った」「恥知らず」「政治の愚か者」と非難した。陳浩天は「独立国家になるか、それとも中国の一都市になるか。選択肢は2つしかない」、「われわれは中国人ではなく、香港人だ。法の支配を尊重し(公用語として)広東語を話す世界でも唯一の存在だ。こうした認識が広がれば自動的に香港は独立へと向かうだろう」と語った。また、2016年の議会選挙で、香港民族党の主張は香港基本法に反するとして、出馬が認められなかった。その後、6月30日に「香港陥落20周年」追悼集会を行う。台湾独立の父と言われる史明やモンゴル自由連盟党と連携するため日本を訪れるなど、他の独立勢力との交流を行う。アメリカに香港関連法の廃止を求めるなどの活動を行っている。2018年8月14日に外国特派員協会で代表の陳浩天の講演会を中止するよう圧力があり招待者のビザが取り消された。。その圧力の中でも陳浩天の講演会は行われ、「中華民族は捏造である」「中国により香港は植民地支配を受けている」「国際社会は中国を制裁せよ」などと訴えた。2019年6月30日には、大阪でのG20大阪サミットに合わせ抗議活動と日本での講演のために陳浩天が来日した。2019年8月には日本に出国しようとした陳浩天が香港国際空港で拘束された。この容疑は警察への暴行と違法集会であったが、マスクで顔が覆われており陳浩天であるかどうかが特定できず2020年10月に無罪判決となった。 2020年6月に、産経新聞のインタビューに答えたところによると香港独立運動からは身を引いたという。
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