慶応の御親兵
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慶応4年(明治元年)2月20日(1868年3月13日)、鳥羽・伏見の戦い後の軍事的緊張に対応し、京都御所の護衛のために設置された。直後に京都警備隊を名目に諸藩からの献兵が集められたが、実態は長州藩の一部部隊を中心として在京の諸藩の浪人を集めただけに過ぎなかった。翌年2月には戊辰戦争戦争終了を理由に献兵は廃止され、十津川郷士ら400名による組織に縮小された。東京奠都後には長州藩部隊が東京城(江戸城から改名、現在の皇居)警護にあたった。
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