運行開始までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 07:13 UTC 版)
「熊本市交通局0800形電車」の記事における「運行開始までの経緯」の解説
1次車導入後、熊本市交通局は経営の悪化により2008年度末には資金不足額が55億円に達して資金不足比率が198%を超えるにいたり、地方公共団体の財政の健全化に関する法律に基づいて2009年度から2015年度まで7年間にわたる「経営健全化計画」を策定し、経営の健全化に取り組むこととなった。同計画では、軌道事業(市電)については厳しい経営の中でも魅力を高めるためとして新型超低床車両の導入が盛り込まれた。 新型車両のデザインは、熊本市観光文化交流局シティプロモーション課の発案で九州新幹線800系などJR九州の列車デザインで実績がある工業デザイナー水戸岡鋭治に依頼することとなり、同課がデザイン作成費用を、交通局が車体制作費をそれぞれ予算化。さらに車両の導入は当初予定の2013年度(平成25年度)からデザイン作成期間を考慮して2014年度(平成26年度)となり、熊本市電開業90周年の記念事業との位置づけになった。2013年(平成25年)4月、熊本市の会合で新型車両は現在運行中の新潟トランシス製車両(0800形の増備)によると決定。同年8月、デザイン作成に関し市シティプロモーション課と水戸岡が代表を務めるドーンデザイン研究所との間に契約が締結された。水戸岡が熊本市交通局の車両デザインに携わったのは先に9700形2・3次車の例がある。また新潟トランシス製超低床車では岡山電気軌道9200形「MOMO」の例がある。 翌2014年(平成26年)3月30日、熊本市現代美術館において、水戸岡や熊本市長の幸山政史(当時)らにより水戸岡のデザイン展(6月より9月まで)の告知とともに新型車両のデザインと愛称が発表された。愛称の「COCORO」(こころ)は、子供から高齢者までさまざまな乗客を迎える「思いやり」や、熊本市を訪れる観光客への「おもてなしの心」を表すという。導入費は約3億1900万円で、通常の車両より3000万円ほど高くなった。 車体の製作は同年1月より新潟県にある新潟トランシスの工場で進められ、8月末に完成、9月1日トレーラーに載せられて熊本へと出発した。熊本への到着は9月4日で、大江車庫で線路上に降ろされた後、ほかの車両に牽引されて上熊本の車両工場へ移送された。同工場ではエンブレムの取り付けなど最終調整が実施されている。12日には報道関係者向けの内覧会を開催。熊本市現代美術館(市電沿線、通町筋停留場近くにある)で開催中の水戸岡のデザイン展最終日にあたる15日には試運転を兼ねたサプライズ運行があった。竣工は30日付。 2014年10月3日午前10時より、大江車庫において「COCORO」の出発式が開催された。テープカットに続く市長や水戸岡ら来賓を乗せた記念列車運転の後、同日午後より営業運転が始まった。
※この「運行開始までの経緯」の解説は、「熊本市交通局0800形電車」の解説の一部です。
「運行開始までの経緯」を含む「熊本市交通局0800形電車」の記事については、「熊本市交通局0800形電車」の概要を参照ください。
運行開始までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 05:17 UTC 版)
「深名線 (ジェイ・アール北海道バス)」の記事における「運行開始までの経緯」の解説
「深名線#歴史」も参照 日本国有鉄道(国鉄)が運営する鉄道路線の深名線は、利用客が少なく、豪雪地帯であるが故に除雪費用が嵩んでいた。国鉄は経営悪化により赤字路線の廃止など合理化を推し進め、深名線は1968年(昭和43年)に廃止勧告を受けた経緯がある(赤字83線)。1980年(昭和55年)に制定された日本国有鉄道経営再建促進特別措置法では、深名線は第2次廃止対象路線相当であったが、国鉄が並行道路でバスによる試走などを行った結果、「代替道路が未整備である」として除外、存続となった。 鉄道に並行する道路は1992年(平成4年)までに整備が完了し、北海道旅客鉄道(JR北海道)は同年12月に「代替道路は整備された」と判断。1994年(平成6年)12月10日に深名線を廃止しバスに転換する意向である旨を発表した。この時点では深名線の窮状、バス転換した場合もバスの運行はJR北海道が行うことを示したのみで、廃止日などの具体的な説明はなく、深川市・幌加内町・風連町・名寄市の沿線首長も今日は説明を聞くだけといったスタンスであったが、同年12月28日に4市町で構成する「JR深名線問題対策協議会」を設け、今後の対応にあたることとした。 1995年(平成7年)1月7日、JR北海道はバス転換に際して運行ダイヤは鉄道の運行時間・本数を基本とするなど具体的な内容を示した。これを受けた協議会ではこの内容を受け入れず、鉄道を廃止するのだからそれに見合ったサービス向上をと、仮にバス転換となった場合は鉄道より便利にするよう要望した。 以降は事務レベルのやり取りが繰り返され、同年5月8日にJR北海道から、 運行ダイヤは当初予定の2倍とし、快速便を大幅に増やす。 車両はリクライニング座席、冷暖房完備、乗降口昇降機能、無線機、後方監視カメラなどを設けたものとする。トイレは冬期に汚物凍結するため設置しないが、主要停留所でトイレ利用希望者に配慮した停車時間を措置する。 料金は鉄道運賃と同じではなく、一部区間で運行している北空知バス(現・空知中央バス)と同水準とする。定期乗車券は鉄道とバスの差額を一定期間補填する。 運行条件の一方的な改変は行わず、沿線自治体と必ず協議する。 などといった最終案が示された。これを受けた沿線首長はJR北海道も歩み寄りを見せたとして、苦渋の選択ではあるが5月15日までにバス転換受け入れを表明。5月16日に開催されたJR深名線問題対策協議会でJR北海道社長に同意書が手渡された。JR北海道は5月26日に深名線の9月4日付での廃止を申請し、6月16日に申請通り許可された。
※この「運行開始までの経緯」の解説は、「深名線 (ジェイ・アール北海道バス)」の解説の一部です。
「運行開始までの経緯」を含む「深名線 (ジェイ・アール北海道バス)」の記事については、「深名線 (ジェイ・アール北海道バス)」の概要を参照ください。
運行開始までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 03:26 UTC 版)
「吉見町町内巡回バス」の記事における「運行開始までの経緯」の解説
概要でも触れたとおり、モータリゼーションの影響を受け、1978年の東松山駅〜大宮駅線廃止(末期は1日3本、上尾市平方で分断されていた路線)と、1991年の東松山駅〜上中曽根間廃止(末期は平日4本、休日5本)により、町内のバス路線は折り返し系統を除き実質3路線となった。これは他の市町村同様に家庭でのマイカー所有増加による影響が大きい。しかし住民の間からは通学や高齢者の足としてのバス路線拡充を求める声が多かった。これは、交通空白地帯が多かったこと、またベッドタウンとして住宅地が多数存在していること、路線バスのある地域が偏ったところも大きかった。しかし、幾度となくコミュニティバス構想が持ち上がるものの頓挫していた。これには既存事業者との調整や運行形態などの問題点があり、特に吉見町は東西南北に広いため、運行にあたっては公平性の観点からも非常に難しい問題があった。 2001年頃からコミュニティバス構想が再浮上し、吉見町役場内でもプロジェクトチームが作られた。しかし公共交通機関への理解はおろか、公共交通機関の利用回数や利用機会の限られる関係者にとって構想を練ることが非常に難しく、どのような車両を使ったらよいか分からない状況でもあった。一時期はワゴンタイプの車両を使うことも検討された。また運行開始前には住民連絡会議も設置された。 ところが、その住民連絡会議の中で示されたのは、原則として町内のみの運行とするということであった。これは以前から運行されていた、江和井地区にある老人福祉施設「荒川荘」への送迎バスルートを生かす部分も大きかったが、吉見町商工会から「町内の利益が町外に逃げてはならない」とする意向があったため、当初は完全に町内のみの運行のみを計画していた。福祉上の観点から、隣接する東松山市にある東松山市民病院へのアクセスは決定したものの、当初は東松山市から市民病院への直接乗り入れ許可は下りなかった。
※この「運行開始までの経緯」の解説は、「吉見町町内巡回バス」の解説の一部です。
「運行開始までの経緯」を含む「吉見町町内巡回バス」の記事については、「吉見町町内巡回バス」の概要を参照ください。
運行開始までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:43 UTC 版)
「いまざとライナー」の記事における「運行開始までの経緯」の解説
今里筋線は今里駅から湯里六丁目までの延伸計画があるが、2014年8月の大阪市の審議会が「採算性はなく、事業化は厳しい」と答申、計画は凍結されていた。 延伸を望む自民党大阪市議団は大阪市営地下鉄の民営化の議案に賛成する条件としてバス・ラピッド・トランジット (BRT) の社会実験を求め、市が承諾。2019年4月から5年程度運行を行い、市民の需要を調査し、延伸やBRT継続の是非について検討することとなった。 BRTの愛称はOsaka Metroの社員が考案した4案から2018年6月1日から14日までに実施された市民投票により「いまざとライナー」に決定。車両デザインも4案からの投票によってオレンジ色をベースに矢印のマークをあしらったものに決められた。
※この「運行開始までの経緯」の解説は、「いまざとライナー」の解説の一部です。
「運行開始までの経緯」を含む「いまざとライナー」の記事については、「いまざとライナー」の概要を参照ください。
運行開始までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 10:06 UTC 版)
東アジア文化都市が2019年に池袋で開催されることや、2020年に向けて行われている「池袋エリアの再開発」により劇場や大規模な公園の整備が行われている事、また同年に行われる東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、単なる移動システムではなく、バス停や運行ルートも含めて、豊島区の文化都市としての魅力を高めるために計画された。
※この「運行開始までの経緯」の解説は、「IKEBUS」の解説の一部です。
「運行開始までの経緯」を含む「IKEBUS」の記事については、「IKEBUS」の概要を参照ください。
- 運行開始までの経緯のページへのリンク