運行開始初期
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1907年、イギリスの植民地であった香港と広東省広州を結ぶ九広鉄路の建設が開始された。九広鉄路の建設はイギリス側(九広鉄路英段)と清国側(九広鉄路華段)で別々に行われ、1910年10月1日に香港区間(東鉄線)が開通し、1911年10月8日には清国区間(広深線)も開通して直通運転が開始された。開通時、広九直通列車は港穂直通車と呼称され、広州市内の大沙頭駅(中国語版)から吉山駅(中国語版)、石龍駅(中国語版)、常平駅、樟木頭駅、深圳駅を経由して香港の九龍駅(中国語版)まで運行された。運行距離は178.55kmである。 運行開始当初のダイヤは1日2往復で、九龍~広州間の所要時間は優等列車が約2時間55分、普通列車が7時間であった。座席等級はファーストクラスとセカンドクラスで、価格はそれぞれ5.4銀元及び2.7銀元であった。1936年から1937年の間には、香港の九広鉄路局(中国語版)は豪華直通列車の運行を開始した。豪華直通列車には、食堂車や展望車が設置された2輛の気動車が用いられ、それぞれ広州淑女(Canton Belle)号、大埔淑女(Taipo Belle)号と命名され、1936年10月14日、大埔淑女号は九龍~広州間を無停車で2時間15分で走破した。 日中戦争中の1938年10月、日本軍による広東攻略戦の結果、九広鉄路は破壊され、広九直通列車の運行は縮小された。1941年12月には香港の戦いが勃発し、九広鉄路沿線すべてが日本軍の占領下となり、広九直通列車の運行は完全に停止された。その後1945年8月に日本が降伏するまで、九広鉄路は軍用として用いられた。
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