致死軍・飛竜軍
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「致死軍・飛竜軍」の解説
公孫勝が梁山泊旗揚げ直前に組織した特殊部隊。急峻な崖や山野・急流といった活動困難な場所でも行動し、奇襲・かく乱などを担当する。所属するには身体能力に加えて、拷問といった汚れ仕事に耐えうるだけの精神力も要求される。後に青蓮寺の追求が厳しくなったため、闇塩の道防衛を専任とする飛竜軍が設立される。なお、致死軍の名称は北方作品である「三国志」から採られている。 公孫勝(入雲竜) 致死軍総隊長。1073年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 65kg。 (水滸伝) ‹章タイトル―第2巻第4章 致死軍が結成される› 元河水の叛徒で、独自に反政府活動を行い地下牢に囚われていた。入獄前に会話を交わした宋江がその経歴に目をつけたことがきっかけで救出される。二年間を闇の牢で過ごし、その間も体を鍛え続けたため身体能力は高く、中でも三半規管は異常に優れている。また、変装の名人で回を重ねるごとに上手になり、部下も見分けがつかない程である。 梁山泊設立と前後して特殊部隊・致死軍(ちしぐん)を設立。総隊長として活動する。部隊の性質上、破壊工作や暗殺など裏方に徹することが多く、青蓮寺と暗闘を繰り広げる。強い反国家思想の持ち主だが、その動機や過去は誰にも語ったことが無い(高廉との決戦後、林冲と馬麟に自身の過去を打ち明けている。その出自は鉱山技師の息子。十四歳の時に鉱山を管轄する役人の不正を糾弾しようとした両親と共に廃坑に閉じ込められたが、両親の屍肉を食らいながら廃坑から脱出、役人に復讐を果たした。その後、死ぬために山中をさまよい、倒れたところを老人に助けられ、老人の庵にて武術などを学んだ。)。 病的に白い肌と色素の薄い瞳を持ち、その不気味な雰囲気とシニカルな性格ゆえ、彼をよく知る人以外からはあまり好かれていない。林冲とはいつも喧嘩しているが、実際にはお互いをよく認め合っている無二の親友である(彼が死んだ際には、ただ一度だけ涙を流した)。高廉率いる闇軍との決戦時に負傷したため、一時は戴宗に致死軍の指揮を預けた。 最終決戦時は開封府で撹乱を図るが李富に押さえ込まれる。陥落寸前の梁山泊に駆けつけ、死に臨む宋江・呉用らの意思を汲んで燕青・張清・武松たちと脱出する。 (楊令伝)致死軍・飛竜軍の残存戦力を率いて青蓮寺の残党狩りと戦い続ける。新生梁山泊設立後は、楊令の言葉もあって侯真に致死軍を譲り、自身は武松・喬道清と金や西夏に対する特殊工作を担当する。梁山泊復活まで、かつての部下が全員戦死し、自分一人だけが生き残った事に無常感を抱く。また、ほぼ全ての任務について次の世代に引き継ぎを完了している。 呉用の意を受け、無駄と知りつつ岳飛に梁山泊との共闘を説くも、結局失敗に終わる。呉用と共に李富暗殺を完遂したが呉用を庇ったさいに重傷を負い、その傷がもとで死亡。その気になれば助かる傷であったが、あえて死を選んだ。死の間際に夢がかなうところを見たくないということ、呉用はこれからも生きて孤独に苦しむべきであることを語った。 劉唐(赤髪鬼) 致死軍隊長、後に飛竜軍総隊長。1077年生まれ。身長 - 180cm、体重 - 80kg。 (水滸伝) ‹章タイトル―第2巻第6章 致死軍に加わる› 元河水の叛徒。梁山泊入山前から、公孫勝の下で反政府活動を行い、彼の入獄後も各拠点を護り続けていた。当初は致死軍で公孫勝の補佐を行い、清風山の二竜山統合後は、梁山泊の闇塩を守るために特殊部隊・飛竜軍(ひりゅうぐん)を設立する。赤い髪と筋骨隆々の体格が特徴。公孫勝とは対照的に明るい性格で、仲間から親しまれる。 自らが審査したにもかかわらず史文恭の接近を許し、晁蓋を暗殺されたことに責任を感じる。後に済州で執拗な追跡の末に史文恭を殺害したが柴進たちを死なせてしまい、最初から敵わなかったという敗北感を抱く。高廉との決戦時に公孫勝を身を挺して守り、戦死。だが決戦直前に高廉と他の軍の連携を懸念し、林冲へ救援を要請していたことが公孫勝らを救うことになる。 『楊令伝』では楊令が軻輔を守って部下が身代わりになって死んだ姿を劉唐の最期と重ね見ている。また拷問について蘇端と会話した際に、劉唐が拷問を嫌っていたことを語っている。 楊雄(病関索) 致死軍隊長。1077年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 65kg。 (水滸伝)元河水の叛徒。劉唐・石秀と共に公孫勝に従い梁山泊に入山。設立当初から致死軍隊長職を務める。決して目立たず裏方に徹するが、心の底では史進達のように雄々しく戦う事に憧れを抱いている。公孫勝はその想いに気づいていたが、致死軍から外す事はしなかった。顔色が黄色い以外に特徴は無く、字も読めない。綽名は劉唐が命名したが、楊雄本人は適当に付けられたと思っている。最終決戦の最中に決行された開封府奇襲作戦で戦死。 公式サイトでは「腕が立つかも、はっきりとは分からない」と記されていたが、『楊令伝』における公孫勝の台詞で腕は立つことが明かされた。また公孫勝は黙々となすべきことを行う穆凌が楊雄と似ていると評した。 孔亮(独火星) 致死軍隊長。1079年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 65kg。 (水滸伝)元青州軍の兵士で、孔明の弟。官軍時代は花栄の部下として反政府活動に関与する。兄とは正反対に美男子だが酷薄な性格。入山直後に石秀と入れ代わりで致死軍へ配属される。敵であれば女子供でも容赦しないが、人妻に告白できなかったという繊細な面もある。田虎戦では魯達の指揮下で行動、張清が梁山泊に同心する裏工作を担当する。 高廉率いる闇の軍との決戦にも生き残ったが、燕青の依頼で係った呂牛拉致作戦を成功させるも戦死する。最期は特殊任務に明け暮れた人生と、致死軍が宋という国を恐れさせたことに満足していた。 『楊令伝』では公孫勝が史進たちに羅辰を紹介した際、孔亮の事を「あれこそが致死軍の兵だった」と語っている。 樊瑞(混世魔王) 致死軍隊長。1074年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 70kg。 (水滸伝)元博州の村の私兵隊長。国家について考えるなど生真面目なところがある。親友の項充・李袞と共に梁山泊へ入山。本隊の将校を務めるが、呼延灼戦で李袞が目の前で命を落とした事がきっかけで、「生と死の境目」を知る事にこだわり始める。そこに注目した公孫勝によって致死軍へスカウトされ、暗殺者として活動する。暗殺以外にも必要とあれば肉を切り開き骨を削るなどの拷問を行う。また、魯達と関勝が董平の脱獄を賭けて勝負した際は、魯達の命で脱獄工作を担当した。 やがて暗殺を重ねるたびに暗殺は生と死の境目に立つことだと考えるようになる。開封府に潜入し単独で袁明の暗殺を謀るも、洪清の体術に阻まれて失敗、候健によって逃がされるも致命傷を負う。梁山泊の療養所に運ばれて三日後に息を引き取るが、死ぬ直前まで生と死について考え続けた。 『楊令伝』では、樊瑞を暗殺者にしたことを考え込むようになった公孫勝が「樊瑞になればいい」という楊令の言葉を受け、暗殺者としての任務も担当するようになる。 王英(矮脚虎) 飛竜軍隊長。1076年生まれ。身長 - 149cm、体重 - 59kg。 (水滸伝)清風山の叛徒で燕順・鄭天寿の兄弟分。叛徒を装いつつ盧俊義の闇塩ルートを守り続けていた。清風山が二竜山に組み込まれた際に、新設された飛竜軍に参加する。闇塩の道防衛に活躍し、燕青の盧俊義救出時にはこれをサポートした。タイミングよく活躍するなど要領が良さそうに見られるが、そのために綿密な準備を行う慎重さを持つ。 原典と同じく女好き・小柄で、梁山泊に加わった扈三娘に思いを寄せて結婚する。しかし、以前から囲っていた遊技の女・白寿とも関係を続けていたことが災いして、呂牛の謀略で白寿と会っていたところを扈三娘に踏み込まれ、命からがら逃げ出す羽目に遭ってしまう。その後も飛竜軍の任務を続けていたが、童貫との最終決戦に駆けつけた際、扈三娘を庇って戦死。なお死の直前まで直接梁山泊には戻っておらず、扈三娘や生まれた子供とも顔を合わせていなかった。 『楊令伝』で扈三娘・白寿との間にもうけた息子、王貴・王清が登場。王貴は扈三娘の顔立ちの良さと同時に王英の短足を受け継いでいる。白勝は王英が燕順・鄭天寿以外の人間とは親しくしていなかったことを蘇端に語っている。 鄧飛(火眼狻猊) 飛竜軍隊長。1079年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 60kg。 (水滸伝)元飲馬川の盗賊で、鎖鎌の遣い手。母親が女真族だったため女真の言葉を話せる。宋と遼の国境周辺で暴れまわっていたが、魯智深と出会い感銘を受ける。その後、女真族との交渉に向かったまま行方不明となった魯智深を単身で救出、梁山泊に入山する。救出の際に不眠不休で舟を漕いだために潮風で目が充血し、赤い眼のままとなる。 双頭山に配属されるも、大きな事を成し遂げたいという思いから周囲と衝突が多かったが、劉唐が飛竜軍にスカウトする。弟分の楊林と二人で柴進と燕青を高唐州から救出する際、城壁を手で掘り穴を開けるという驚異的な手段で2人を脱出させる。だが脱出の際に崩れてきた城壁を支え続けるも押しつぶされて圧死、その最期は楊林の目に焼き付けられた。得物の鎖鎌は燕青が回収し、楊林に渡される。 『楊令伝』において燕青は武松・候真と共に楊令探索の旅をしていた際に、鄧飛が魯智深を救出した城郭を訪れている。また燕青は自身も高唐州で鄧飛に助けられたことを候真に語っている。 楊林(錦豹子) 飛竜軍隊長。1083年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 55kg。 (水滸伝)元飲馬川の盗賊で当初は鄧飛直属の部下だった。鄧飛を兄貴と呼んで慕い、共に高唐州での柴進と燕青の救出任務を遂行。鄧飛の死後はその後任として飛竜軍の指揮官に昇格する。高唐州において危険が迫っているにもかかわらず闇塩の銀に拘ったことと、鄧飛戦死時の反応が原因で柴進を嫌っている。名も無く死ぬ事に納得しており、堅実な仕事ぶりで貢献する。公孫勝には及ばないが夜目が利き、自身では豹の目だと思っていた。 高廉率いる闇の軍との決戦時に、鄧飛が遺した鎖鎌を武器に奮戦した後、戦死。現実的かつノンポリな性格、梁山泊の掲げる志とも無縁だったが、死んでいった仲間達への想いがその戦いを継続させた。 『楊令伝』では、孟康が呼延凌の軍と共に高唐州の近くを通った際に、鄧飛と楊林が柴進と燕青を救出したこと、楊林が形見も残さずに死んだのでせめて自分だけでも憶えておくことを呼延凌に語っている。
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