精神医学と人間心理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 05:43 UTC 版)
「複雑性PTSD」も参照 ベッセル・ヴァン・デア・コークは1960年代の末にマサチューセッツ・メンタルヘルスセンターの研究棟で、統合失調症と診断された患者と病棟スタッフとして、短い時間しか回診しない医師と比較して長時間接したことがあったが、その中には父親または兄弟からの性的虐待を訴える女性患者もいたという。ベッセル・ヴァン・デア・コークはオイゲン・ブロイラーの『早発性痴呆または精神分裂病群』(1911年)に挙げられる統合失調症の症状として性的幻覚というものがあり、だからこそ医師はマサチューセッツ・メンタルヘルスセンターに収容された患者を重度の精神異常者と考えたのであるが、これは実際に患者が経験したことではないのかと疑問に思ったという。 なお、オイゲン・ブロイラーの下、ブルクヘルツリ精神病院で早発性痴呆の患者の治療に当たっていたのがカール・グスタフ・ユングである。カール・グスタフ・ユングは兄に15歳の時に犯され世間から爪弾きにされていた妹を治療したことがあるが、話をさせるだけでも何週間もかかり銃を医者に向けたりなどした後、結局は落ち着き退院したのだが、その際に「あなたが私を見すてていたら、私はあなたを撃ち殺していたでしょう」と持っていた銃をユングに手渡して語ったという。 ジークムント・フロイトが自ら初期の誘惑理論を放棄した後、精神医学、精神分析学、心理学の分野では1980年代に入るまでほとんどの近親姦の話は子供時代の幻想に過ぎないと主張されていたが、その後は大量の文献が発表されている。斎藤学は、自助グループに参加した女性から1992年に自分に言われたこととして、10年前に実の父親からの性的虐待をあなたに訴えたのに取り扱ってもらえなかったという話を紹介する。秋月菜央は、性被害の精神的影響の研究に消極的な精神科医が多い理由として、精神科医自体がインセスト・タブーの影響下にある可能性を指摘している。 あいち小児保健医療総合センターには32病棟という精神保健福祉法に基づき設置された閉鎖病棟があるが、ここにいる患者の中には性被害を受けた患者も含まれるという。2001年11月から2011年10月までの期間であいち小児保健医療総合センターが扱った性的虐待を受けた患者の中には、父親や継父、兄から性的虐待を受けた女性、母親や父親、継父から性的虐待を受けた男性が含まれるという。 スーザン・フォワードは社会には恐らく近親相姦嫌悪を原因とした、近親相姦についてのさまざまな誤解が存在していることを指摘しており、例えば、近親相姦というものはめったに存在しない、あるいは貧困家庭や低教育層や過疎地で起こるものだ、近親相姦を行うものは社会的にも性的にも逸脱した変質者だなどといった誤解を例に挙げており、また性的に満たされない人間が行うと考えられることもあるが、実際は支配欲などが主な動機と考えられており、たとえ最終的に性欲をも満たそうとすることはあっても行為のきっかけにはなりにくいとも述べている。 スーザン・フォワードは、心理学上は近親相姦とは近親者における接触性の性的行為全てを指し、接触のない近親者による性的行動は近親相姦的行為とされるとし、親子のスキンシップなど必要とされる接触行為も存在すると述べた上で、どのような行為が近親相姦行為か否かに関しての区分は、一般にそれを秘密にしなくてはならないかどうかであるとする。友田明美は、実際には風呂上りの父親が裸のままうろうろしているのはどうなのかなど、性的マルトリートメントか否かについて厳密な区分は難しいと述べる。小野修は小学校高学年から高校生の息子が母親のいる布団に潜り込んできたからといって性的行為ではないので、温めてやるのがよいと論じている マーガレット・ラインホルドは著書において、直接的な母息子間の性行為はないものの、夫との離婚後に他の男たちとの性的行為を家庭内で大っぴらに行っていた母親の下で育った息子が、後に勃起不全気味になり、さらに年上の女性たちとの関係に凝り固まってしまったうえ、高齢になり年上の女性を魅惑することができなくなり、また父親に対する見捨てられ感から自らにまともに価値を見いだせず、最終的には自殺してしまった話を取り上げている。 免疫系のCD45細胞には既知の危機に対応するRA細胞と未知の危機に対応するRO細胞があるのだが、ベッセル・ヴァン・デア・コークがスコット・ウィルソンとリチャード・クラディンと共同で行った薬物未服用の近親姦経験の有る女性と無い女性の比較研究によると、近親姦経験の有る女性は無い女性に比べRA/(RA+RO)の値が高いことが判明した。フランク・パトナムとペネロピ・トリケットが1986年から追跡して行った研究では、アンドロステンジオンとテストステロンの値が近親姦の経験者である女性は比較群の女性に比べ思春期初期で3から5倍高く、性的な成熟が1年半早まることが分かったという。 特に近親姦に限ってはいないが、近親姦を含む児童性的虐待を受けた女性全般について斎藤学 (2001) は、自らの調査では、自殺願望が高く対人恐怖の傾向があり、解離性障害や心的外傷後ストレス障害 (PTSD) を抱えている場合が多くみられるとしている。 日本では、因果関係を巡り民事訴訟となった事例がある。両親が離婚し小学生であった1992年以降祖父の家で暮らしていた女性が、祖父が添い寝をして猥褻行為をするようになり2000年まで性的関係が続き、それが原因でPTSDになったとして損害賠償を祖父に求めた裁判で、2005年10月14日に東京地方裁判所は性的虐待との因果関係を認めて祖父に約6000万円の支払いを命じた。 宮地尚子は、近親姦のごとき社会的にタブーとされる行為をさせられた場合、社会とのずれを自覚すると自分は社会に存在すべきではないと思ってしまうものだと論ずる。トラウマに関する思考の改善法としてEMDRというものがあるが、この治療法は例えば父親に性的虐待を受けたことに対して自責の念を持っているような女性に関しては、その認識を改めさせることに用いることはできるとされている。ベッセル・ヴァン・デア・コークは父親に犯されたことがあるということで自分のセラピーグループに来た心理療法家の女性が、専門家を対象にしたEMDRの研修でトラウマを解決してしまったとして去っていき、自分もEMDRの研修を受けることにした経験があるという。 ベッセル・ヴァン・デア・コークによれば、父親に性的虐待を受ける環境で育つと、人を愛そうとすると恐怖を覚えるように脳の扁桃体において配線されてしまう場合があるという。ベッセル・ヴァン・デア・コークは、父親からの性的虐待でこのような状況に陥った女性に対してはまず生理的混乱を抑えることが第一になるため、中国人から学んだ気功やエモーショナル・フリーダム・テクニック(EFT)として知られる経穴押しを習得させたりしたこともあったという。 近親相姦の記憶について研究を行ったジュディス・ハーマンは、記憶の断片化や喪失が見られるとして多重人格障害とは自らが提唱した複雑性PTSDの一種であると論じた。この複雑性PTSDは世界保健機関が2019年5月に改訂した疾病及び関連保健問題の国際統計分類の第11版で、正式に疾患として認められることとなった。ただし、和田秀樹は近親相姦や性的虐待の被害者が多重人格の人にも多いとはいえ、本来トラウマの後遺症に関する研究は多重人格の研究とは別物だと語っている。金星姫は、父親など保護者に性的加害行為をされた女性が後年に複雑性PTSDを理由に責任を追及しようとすると、保護者側が症状との間には因果関係はないと主張することもありうるため医師の協力が必要となってくると述べている。 EMDRは複雑性PTSDには効果がない場合もあることから、杉山登志郎は複雑性PTSD向けにパルサーによる刺激をEMDRのように左右交互に用いて、それを4セット行う技法を開発した。堀田洋は、15歳の解離性同一性障害の女性にまず自我状態療法を施した後に、いとこから性被害を受けた記憶などを持つそれぞれのパートあるいは人格に対して4セット法を試みたことがあるという。自我状態療法とは人格を複数の自我状態の重ねあわせによって生まれると考えた上で、催眠を用いて行う治療法であるが、同様に人格を複数のスキーマモードからなるとして認知行動療法のように治療する心理療法をスキーマ療法という。ただし、スキーマ療法はクライアントを再養育する目的で行うものであるため、認知行動療法と違って長い時間を要する場合が多い。伊藤絵美は、祖父から性的虐待を受けた女性にスキーマ療法を施したが、終了するまでには約6年もかかったという。 精神医学の世界には、コンピューターと電極を使って脳波を調節するニューロフィードバックという治療法もある。ベッセル・ヴァン・デア・コークはオジに性的虐待を受け、見知らぬ同姓と危険な性的行為を行うようになりHIVに感染した男性の右側頭葉の脳波を、ニューロフィードバックを用いて遅くしてみたところ、そのような性的衝動が収まり、4年後の現在も経過は良好という報告を2014年に行っている。 疾病及び関連保健問題の国際統計分類の第11版では、複雑性PTSDだけではなく強迫的性行動症という疾患名も新設された。原田隆之は、強迫的性行動症の患者のための「無名の性的脅迫症者の集まり」という自助グループができてから五周年となったことを記念したイベントに行った際に、「無名の性的脅迫症者の集まり」のメンバーから聞いた話として、実の父親に6歳のときにセックスされ、後に性器が擦り切れ出血しようとも朝から夕方までマスターベーションを続けるようになり、高等学校時代には同級生の女子生徒の半数と性関係を持つに至ったという女性の話を引いている。ちなみにかつては被害者団体は原田隆之のことを敵視していたような節があったのだが、時の経過とともに性犯罪支援グループの中から原田隆之に直接話をしてくれる人物も登場することになる。原田隆之は、実父に小学校1年生のときから高等学校に入るまで性暴力被害を受け続けていたという「リボンの会」の会員の話として、当時はそもそも暴力的な父親に対して「抵抗する」などといった考えは頭にも浮かばなかったという話を引いている。
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