河井秋義とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 河井秋義の意味・解説 

河井継之助

(河井秋義 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 15:32 UTC 版)

河井 継之助(かわい つぎのすけ、正字体:繼之助、文政10年1月1日1827年1月27日) - 慶応4年8月16日1868年10月1日))は、江戸時代末期(幕末)の武士越後長岡藩牧野家の家臣。「継之助」は幼名・通称で、読みは郷里の新潟県長岡市にある河井継之助記念館は「つぎのすけ」[1]とするが、死没地である福島県只見町の同名施設は「つぐのすけ」としている[2]秋義(あきよし)。は蒼龍窟。禄高は120。妻は「すが」。


注釈

  1. ^ 安田鉚蔵を安井鉚蔵、槙内蔵介を植内蔵介と誤記または誤植をして出版された書籍があり、これより孫引きをしたと推察される書籍・文献がかなり存在し、この誤りを踏襲している。長岡藩士に植姓・安井姓の士分は存在しない。
  2. ^ 但し客分の筋目であった先法三家は藩主の本陣に近侍してこれを守ったため後方にあり、1人の戦傷者も出さなかったと云われる(もっとも藩士・村松忠治右衛門編集とされる「長岡藩戊辰戦争の記」(『長岡藩戊辰戦争関係資料集』『長岡市史双書』No.31、1995年)には銃卒小隊長として先法家の一人と思われる槇小太郎が実戦に参加している記録がある)。
  3. ^ その他にも鉛毒ガス壊疽などを死因とする説もある。

出典

  1. ^ つぎのすけかつぐのすけか河井継之助記念館(2018年11月10日閲覧)
  2. ^ a b 【みちものがたり】八十里越(新潟、福島県)30年かけて未完成の国道/開戦責任者か、最後の侍か『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」2019年11月9日(6-7面)2020年7月19日閲覧
  3. ^ 『河井継之助の生涯』、pp.175-176
  4. ^ 展示品紹介河井継之助記念館(2018.9.3アクセス)
  5. ^ 河井継之助福島県観光交流局観光交流課(2018.9.3アクセス)
  6. ^ 河井継之助 北越戦争で長岡城奪還 信念貫く武士道産経ニュース(2018年4月30日)-2018年9月26日閲覧
  7. ^ 『長岡歴史事典』、p.65
  8. ^ 「鈴木総之丞日記」慶応4年5朔日の條(『河井継之助伝』p.278)
  9. ^ 『歴史への招待14』pp.8-9、p.17、p.29
  10. ^ 反薩長の英雄「河井継之助」を知っていますか 東洋経済(2017年10月17日)2017年10月19日閲覧
  11. ^ 新潟県立図書館「越後佐渡デジタルライブラリー」『越後国上杉景勝家督争合戦』
  12. ^ ながおかネット・ミュージアム 河井継之助書
  13. ^ a b c d e 神村実『河井継之助』(金雞学院、1933年)
  14. ^ 渡辺好明『越後村松藩の戊辰戦争』2019年1月 P.154
  15. ^ 甘糟勇雄編『甘糟備後継成遺文』1960年6月、「戊辰役参謀甘糟備後継成 北越日記」5月22日「敵を拒(ふせ)ぐの策を議すれども、各相顧みて主として議を建つる者なし、ただ河井継之助、勇断進撃して見附を取り、長岡を復するの説を唱へ、傍らに人なきが如し、また村松の田中等を責むるに、長岡落城の節尽力せず、その仕儀甚だ怪しきを以ってす、言甚切也・・」
  16. ^ ながおかネット・ミュージアム 塵壺のはなし
  17. ^ 『塵壷』河井継之助手記、和同会雑誌部校訂、昭和13年発行 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m 今泉鐸次郎『河井継之助傳』(目黒書店、1931年)
  19. ^ 『史談会速記録 合本19』P272-273 (原書房、1971-1976年)
  20. ^ "役所広司主演映画『峠 最後のサムライ』公開日が6月17日に決定 新ポスタービジュアルも". Real Sound映画部. blueprint. 31 March 2022. 2022年3月31日閲覧





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

河井秋義のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



河井秋義のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの河井継之助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS