鵜殿団次郎とは? わかりやすく解説

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鵜殿団次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 09:05 UTC 版)

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鵜殿団次郎(『河井継之助伝』今泉鐸次郎著、1931年刊より)

鵜殿 団次郎(うどの だんじろう、天保2年(1831年) - 明治元年12月9日1869年1月21日))は、幕末期の洋学者蕃書調所教授。は長養、号は春風。異母弟に海援隊隊士の白峰駿馬がいる。

『万国奇観』(明治5年(1872年)刊)

経歴

越後長岡藩士・鵜殿瀬左衛門のもとに生まれる。なお『新潟市史・資料編』に掲載される「天保十亥年正月 貞享元子年より諸役人留」に正徳2年(1712年)から享保4年1月(1719年)まで新潟町奉行を勤めた「鵜殿団次郎」が見えるが、先祖と思われる。


長岡藩の藩校崇徳館で学問を修めた後、江戸で蘭学英学を学ぶ。その才を勝海舟に買われて幕臣に登用され、文久2年(1862年)に蕃書調所(前身は蛮書和解御用)の教授となり、慶応4年(1868年)には軍艦役格より幕府目付となる。[1]その一方、慶応2年(1866年)に藩に軍制改革に関する意見書を提出するなど、幕末の混乱に瀕した藩のために尽力するも、明治元年(1868年)、38歳で病死した。河井継之助と並ぶ長岡藩の秀才であった団次郎の死は、長岡藩の大きな損失であったとされる。著書に『万国奇観』がある。

脚注

  1. ^ 幕末明治重職補任、56頁

参考文献

  • 幕末明治重職補任 日本史籍協会編 マツノ書店 2014年
  • 『新潟市史・資料編』

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