鵜来島 (福岡県)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鵜来島 (福岡県)の意味・解説 

鵜来島 (福岡県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/04 15:18 UTC 版)

西公園から見る鵜来島(奥の小島。手前に見える島のようなものは離岸堤

鵜来島(うぐしま)は、福岡県福岡市中央区に属する、博多湾に浮かぶ無人島である。

概要

福岡市中央区の西公園北西、福浜地区の沖合540m程の博多湾内に位置する小さな玄武岩無人島である。

福浜海岸の西端部の真北に位置しており、福浜海岸や西公園などから目視が可能である。面積はごく小さく、周辺は浅瀬となっており、満潮時には島の一部が水没することもある。

本土と島を結ぶ航路は一切なく、通常の手段では島に渡ることはできない。そのため、人の立ち入りはほとんどなく、島内は低木や雑草に覆われており、人工的な開発がほとんどされておらず、自然のままの状態が保たれている。その名の通りなどの海鳥の休憩地となっており、島内は白い鳥ので白くなっている部分が多々見られる。鵜の営巣地であったことに由来するとされる。

歴史

江戸時代初期、福岡藩初代藩主・黒田長政は、長男・忠之の素行に問題があるとして、家督を三男・長興に譲る意向を示した。このとき筆頭家老である栗山大膳(栗山利章)は忠之の後見役であり、忠之の廃嫡に強く反対した[1]

大膳は、家臣団の中核をなす600石以上2,000石未満の藩士嫡男を鵜来島に集め、長政に対して忠之の家督相続を願う血判状を書かせた。彼らは「認められなければ全員切腹する」との覚悟を示し、強く嘆願したため、長政は忠之の廃嫡を撤回することとなった[1]

この事件は後の「黒田騒動(栗山大膳事件)」の発端の一つとされる。黒田騒動は、忠之と大膳の対立、家中の武断派文治派の抗争、さらに江戸幕府の介入を経て、最終的に大膳は乱心とみなされ、盛岡藩預かりとなった[1]

脚注

座標: 北緯33度36分22.3秒 東経130度22分0.3秒 / 北緯33.606194度 東経130.366750度 / 33.606194; 130.366750




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  鵜来島 (福岡県)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鵜来島 (福岡県)」の関連用語

鵜来島 (福岡県)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鵜来島 (福岡県)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鵜来島 (福岡県) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS