誕生〜青年期とは? わかりやすく解説

誕生〜青年期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 23:57 UTC 版)

河井継之助」の記事における「誕生〜青年期」の解説

文政10年1827年)、長岡城下の長町で代右衛門秋紀と貞との長男として生まれる。幼少の頃気性激しく腕白者で、負けず嫌いな性格であったといわれている。123歳の頃、それぞれに師匠つけられ剣術馬術などの武芸学んだ師匠教え流儀作法従わないどころか口答えし自分勝手にやったため、ついには師匠から始末に負えない厄介払いされるほどであったその後藩校崇徳館で儒学学び始めその際都講高野松陰影響陽明学傾倒していった。 天保13年1842年)に元服、秋義を名乗る。信堅系の河井家の当主元服する代々通称として「代右衛門」を世襲したが、河井継之助秋義元服後幼名である「継之助」を通称として用いた17歳の時、継之助は裂いて王陽明祀り、補国を任とすべきこと、すなわち藩を支え名臣になることを誓う。その翌年城下火災により継之助の家宅焼失したため、現在跡地のある家に移り住む嘉永3年1850年)に野嘉兵衛250石、側用人)の妹・すがと結婚する。なお、野氏は安政藩政改革主導した村松忠次右衛門母方であり、『武鑑』でも藩主嗣子牧野忠訓の附役に野弥五左衛門見えるので、姉婿佐野与惣左衛門武鑑で附役になっているのが確認できる同様にこの藩主側近一族との縁組が継之助の出世プラス作用した可能性は高い。 継之助は青年時代から主に日本・中国(宋・明時代)の儒学者哲学者語録明・清時代奏議書の類の本をよく写本した。また、読書法についても後に鵜殿団次郎とそのあり方について議論した際、多読良しとする鵜殿対し、継之助は精読主張したという。こうした書物対す姿勢は後の遊学の際でも一貫していた。 さらにこの時期には小山良運130石)や花輪馨之進(200石、のち奉行本役)、三間市之進350石、のち奉行加判)、三島億二郎37石、藩校助教授、のち目付格、代官)といった同年代若手藩士らと日夜意見戦わせ意気通じ合わせていた。このグループ周囲からは「党」(漏らさぬほど結束力固いという意)と呼ばれていたらしく、慶応藩政改革の際には村松忠治右衛門70石、安政藩政改革主導者、のち奉行格、勘定頭郡奉行ほか諸奉行兼帯。継之助の妻の縁者)や植田十兵衛200石、のち郡奉行町奉行兼帯)らとともに次第要職に就き、継之助を中心とする改革推進派の主要メンバーとなった

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誕生〜青年期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 23:53 UTC 版)

モルタザー・モタッハリー」の記事における「誕生〜青年期」の解説

モタッハリーは1919年マシュハドホラーサーン州の南に位置するファリーマーンという次男として生まれた彼の家系宗教学者であった。 モタッハリーの祖父にあたるアリーは、19世紀末マシュハドからファリーマーンに移住してきた。モタッハリーの父親は非常に正直な人物で、特に金銭には厳格であった。 モタッハリーは、5歳頃に書物興味示し始め、父の書斎にこっそり入り込んでいた。他の子供のように子供らしい遊びをすることがなかったので、両親は心配していたという。 10歳になると、伝統的なイスラームの学問学び始めた。そして13歳時に長男とともにマシュハドのエブダール・ハーン宗教学校という学校2年宗教学生として修学した。 この1930年代イランは、1979年崩壊したパフラヴィー朝創始者レザー・シャー時代であったこの人物は統治初期においてはイラン社会隠然たる影響力を持つウラマーの力を利用する政策を採ったものの、いったん自らの権力基盤据えられたとするや否やイラン民族主義の名のもとに反イスラーム立場鮮明にした。女性チャードル禁止洋服採用などが典型的な政策であった八代目イマームの廟があり、国内最大聖地マシュハドにおいても、その影響がみられた。 モタッハリーはマシュハド2年滞在した後、故郷のファリーマーンに戻った故郷戻ってからは読書時間費やした1936または1937年1718になった彼は、当時シーア派世界で注目を受け始めていた宗教研究中心地ゴムの町へ行く決心をした。この町はシーア派世界で特異な位置占めてきた。 モタッハリーはこの町で宗教的学問研鑽する決意固めたが、周囲はこれに反対した。当時イランレザー・シャー反宗教的、民族主義的政策によって、宗教者として身を立てることが極めて困難であったからである。当時は、マスジェドは閉鎖され宗教家であった者も職業変え政府役人になったりするような時代であった。特に、母親息子にファリーマーンを離れて欲しくなかった

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