誕生から1983年まで 日本からイタリアへ
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「中村真木」の記事における「誕生から1983年まで 日本からイタリアへ」の解説
山口県に生まれる。両親の仕事のため、7歳よりイタリアに暮らし、幼少期をローマで過ごす。ミケランジェロやベルニーニなどの作品がみられる教会や美術館、噴水等、多くの大理石彫刻に触れて育ち、立体造形への憧れを覚える。中学で日本に帰国し、高校2年から再びイタリアに渡りローマの美術アカデミーに入学、巨匠ファッツイーニに師事した。1967年に卒業後、パリのエコール・ド・ボーザールに留学したが、程なく1968年のパリ5月革命に巻き込まれて大学は閉鎖された。このためイタリアに戻り、初めて、パリの彫刻家たちに勧められた大理石の産地カッラーラに赴く。 大理石彫刻では世界的に知られたスタジオ・ニコーリ(1863年設立)に入り、大理石職人達から直接技術指導を受ける。当時工房に作品制作の注文をしていた著名なアーテイスト、ルイーズ・ブルジョワや、ヴァンジ等と知り合う。1970年、帰国して東京芸術大学大学院彫刻科に入学、淀井敏夫教授に師事する。1972年修了後、大理石による制作を続けるためカッラーラに工房を構え、日本との往復を重ねる。 1977年にローマのギャラリーシュナイダーにて初個展開催。カッラーラで制作し、ピエトラサンタやトスカーナの展覧会に出品しながら活動を続けた。1983年、初めての公共芸術として横浜勧行寺中坪に16トンの大理石彫刻を制作する。「自然は植物も水も生命のシンボル」として、27平米に波の動きや波紋をかたどった。
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