誕生からオガデン戦争まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:11 UTC 版)
「モハメッド・ファッラ・アイディード」の記事における「誕生からオガデン戦争まで」の解説
ソマリ族は氏族が極めて重要な意味を持ち、氏族が近いほど仲間意識が強い。アイディードは1934年、ハウィエ氏族のハバー・ギディル(英語版)氏族として、イタリア領ソマリランドのベレトウェインで生まれた。彼はローマおよびモスクワで教育を受け、1950年代、イタリア信託統治領となっていた南部ソマリアで、イタリア植民地警察に勤めた。また、アイディードはソビエト連邦のフルンゼ名称軍事アカデミー(英語版)で訓練を受けた。 ソマリアは1960年に独立するが、1969年、第2代大統領暗殺と軍のクーデターが起こり、当時ソマリア軍の少将だったモハメド・シアド・バーレが第3代大統領に就いた。アイディードはバーレ新政権に好まれず、後に逮捕されて6年間の牢獄生活を送った。 バーレ大統領は大ソマリア主義を掲げ、隣国エチオピアにあるソマリ族居住地区の分離独立運動を支援した。1977年、ソマリア軍はついにエチオピアソマリ州のオガデンに侵攻し、オガデン戦争が勃発する。 アイディードは釈放され、オガデン戦争で軍人として活躍。なお、当初バーレ政権は共産主義を標榜しており、ソビエト連邦(ソ連)の支援を受けていたが、ソ連はオガデン戦争でエチオピアを支援したため、1980年代にバーレ政権はアメリカ寄りに政策を転換している。ソマリアは結局オガデン地方を制圧できず、オガデン戦争は失敗に終わった。 オガデン戦争後、アイディードはバーレ政権でインド大使などの要職に就き、後に情報機関の長官となった。
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