誕生からドイツ追放
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「ヨーゼフ・ローゼンシュトック」の記事における「誕生からドイツ追放」の解説
故郷のクラクフ音楽院で学んだ後、ウィーン音楽アカデミーでフランツ・シュレーカーに作曲を学んだ。1922年、ダルムシュタット歌劇場の指揮者となり、指揮者デビューした。1925年にはヴィースバーデン国立歌劇場、1929年にメトロポリタン歌劇場の指揮者を歴任した後、1930年にはマンハイム国民劇場の音楽総監督に就任した。その間には、アルトゥーロ・トスカニーニやリヒャルト・シュトラウスらと親しくする機会もあり、その経験は自己の研鑽の足しになった。1933年からベルリンのユダヤ文化協会管弦楽団の指揮者として活動したが、ナチスから国外追放を宣告されることとなった。ローゼンシュトックはこの頃、いわゆる頽廃音楽の擁護者としても有名であったため、ユダヤ系でなくともレパートリーの面から、遠からず迫害されるのは目に見えていた。親交のあったトスカニーニからは、早くドイツを脱出するよう強く催促されていた。
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