誕生からロシア革命前
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パリの聖にして光榮なる克肖致命女聖マリヤ(英語: The holy and glorious venerable-martyr Maria Skobtsova)は、20世紀初頭のパリの修道女であり致命者。マリヤは隣人へのもてなしと隣人への愛に熱心に励んだ。マリヤにとってこのことはクリスチャンの基本であるべきものであり、生活に具体化していこうと努めた。 マリヤはラトヴィアの貴族の家に1891年に生まれた。生まれた時の名はエリザヴェータ・ピレンコである。父親は彼女がティーンエイジャーであった頃に永眠し、エリザヴェータは無神論者となった。1906年、母親が家族を連れてサンクトペテルブルクに移り住んだが、エリザヴェータはそこで急進的な知的サークルにのめり込んだ。1910年、ボリシェビキであったドミートリー・クジミン=カラヴィエフと結婚した。この頃、エリザヴェータは文学サークルに積極的に加わっており、多くの詩を書いた。彼女の最初の本はこの頃の詩を集めた『スキタイの破片』である。最初の結婚で娘のガリーナが産まれたが、1913年までには、ドミートリーとの結婚生活は終わりを告げた。 「彼もまた死せり。彼は血を流せり。彼等は彼の顔を批てり(うてり)。」と、イイススの慈愛を聖書から読み取り、エリザヴェータはキリスト教に戻り始めた。その後、娘ガリーナとともに南ロシアに移住し、信仰へますます傾倒していった。
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