誕生から修道誓願まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/16 19:50 UTC 版)
「サワ (セルビア大主教)」の記事における「誕生から修道誓願まで」の解説
ブルガリアのタルノヴォにおいて、ステファン・ネマニャの息子として、俗名ラストゥコ(セルビア語: Растко)として生まれる。3人兄弟の末っ子のラストゥコは温和で穏やかな性格で読書を好み、他の貴族たちと同様に遊ぶことを好んだ2人の兄(ヴカン(英語版)とステファン・ネマニッチ)とは対照的であった。 15歳にして父の統治を助けるようヘルツェゴビナの行政の任を与えられるが、全く統治に興味を持てなかったラストゥコは、神への完全な献身への願いを抱いていた。そうした時、父(ステファン・ネマニャ)のもとをアトス山の修道士たちが財政支援を求めて訪れた。かれらが語った修道院の素晴らしさに感銘を受けたラストゥコは密かに、正教会の修道院が多数存在するアトス山に赴き、聖パンテレイモン修道院で、修道名サワとして修道士となった。父は息子を連れ戻そうと兵を差し向けたが、兵がアトス山に到着した時には、すでにサワは修道誓願を終えたところだった。 サワは謙虚であり、修道院で祈りと斎に勤しみ、その上で読書に励んだ。
※この「誕生から修道誓願まで」の解説は、「サワ (セルビア大主教)」の解説の一部です。
「誕生から修道誓願まで」を含む「サワ (セルビア大主教)」の記事については、「サワ (セルビア大主教)」の概要を参照ください。
- 誕生から修道誓願までのページへのリンク