誕生から公位継承まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 03:32 UTC 版)
「カール・エドゥアルト (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)」の記事における「誕生から公位継承まで」の解説
チャールズ・エドワード(カール・エドゥアルト)は、イングランド・サリーのクレアモント(英語版)で生まれた。父はヴィクトリア女王とアルバート公の四男オールバニ公レオポルド、母はヴァルデック侯ゲオルク・ヴィクトルの娘ヘレーネである。前年の1883年に姉アリス・メアリーが生まれている。レオポルドは長男が生まれる前の1884年3月28日にカンヌで急死しており、チャールズ・エドワードは誕生と同時にオールバニ公位を継承した。 16歳になって間もない1900年7月30日、伯父のザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレート(エディンバラ公アルフレッド)が死去した。アルフレートの一人息子アルフレッドは前年に自殺しており、コノート公アーサー(アルフレートの弟、レオポルドの兄)とその息子アーサー(チャールズの従兄で学友だった)が辞退したため、チャールズ・エドワードが祖母ヴィクトリア女王の命令で公位を継承した(実は、イートン校で先輩であったアーサーが、チャールズ・エドワードが公位を辞退すれば学校でいじめるぞと脅していたため、しぶしぶ継承した)。 即位後5年間、公国はアルフレートの娘アレクサンドラ公女の夫であるホーエンローエ=ランゲンブルク侯世子エルンストの摂政の下に治められた。
※この「誕生から公位継承まで」の解説は、「カール・エドゥアルト (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)」の解説の一部です。
「誕生から公位継承まで」を含む「カール・エドゥアルト (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)」の記事については、「カール・エドゥアルト (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)」の概要を参照ください。
- 誕生から公位継承までのページへのリンク