誕生からハンセン病患者との出会いまでとは? わかりやすく解説

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誕生からハンセン病患者との出会いまで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 17:20 UTC 版)

神谷美恵子」の記事における「誕生からハンセン病患者との出会いまで」の解説

神谷美恵子結婚前前田美恵子)は1914年大正3年1月12日内務省職員である父前田多門とその妻房子長女として岡山市生まれた兄弟には兄の陽一の他、後に一男二女生まれている。父の多門はその年の4月長崎県理事官へと転任し一家長崎へと転居翌年には内務省本省勤務となり東京へ転居している。多門内務省におけるエリート官僚として、外国との折衝始めとした役職歴任したため、一家頻繁に転居している。両親外国出張している際には、兄弟離ればなれになって親類の家に預けられることもあった。1920年大正9年)に多門内務省退職東京市助役となり、1921年大正10年)に一家大久保百人町転居した。美恵子聖心女子学院小学部二年へと編入したが、カトリックにより運営され貴族的な雰囲気有していたこの学校での生活には違和感覚えていた。 1923年大正12年7月多門国際労働機関日本政府代表に任命され一家スイスジュネーヴへと向かった美恵子市内にあるジャン=ジャック・ルソー教育研究所付属小学校編入学した。1年生から6年生までの20人あまりの生徒一つ教室集められ各自能力応じた指導受けていたこの学校で、美恵子は「急に明るくなり、成長した」。この頃両親二人結婚式媒酌人であり当時国連盟事務次長務めていた新渡戸稲造親密交際しており、彼を尊敬していた両親同様に美恵子新渡戸から大きな影響受けた。しかし、共に貧し境遇から努力によって身を立ててきた両親の間は不和とは言わないまでも争い絶えなかったようで、美恵子長女として幼い頃から家庭気を配り、父の社交加わっていたが、後にこのことは大きな負担であった記している。 1925年大正14年)には新たに設立されジュネーヴ国際学校中学部入学したスイス生活が長引く中で、兄妹フランス語日常会話においても用いようになった後になって美恵子は「フランス語でものを考えること、読むこと、書くことがいちばんらく」であると語っている。 1926年大正15年)に12月末に一家日本に帰国し、翌年8月多聞東京市政調査会専務理事として勤務した美恵子はいったん自由学園編入学したがそこでの教育になじめず、1927年昭和2年9月には成城高女学校へと転学している。学校の他にアテネ・フランセにおいて語学を、無教会主義属す伝道師であった叔父金澤常雄の主催する研究会では聖書学んでいた。宗教に関しては後にクエーカーへ、さらに晩年には仏教へも興味示したが、キリスト教対す関心生涯失うことは無かった1932年昭和7年)に成城高女学校を卒業後は、兄のすすめで津田英学塾本科入学した1934年昭和9年)に美恵子金澤からオルガン伴奏役としてハンセン病療養所施設訪問同行するよう求められた。叔父とともに多磨全生園訪れた彼女は、ハンセン病患者病状に強い衝撃受けた。後に彼女は、ある種の「召命感」と伴に自分が身を捧げる生涯目的がはっきりとした、と語っている。 美恵子は、医師としてハンセン病患者奉仕しようと決意し東京女子医学専門学校受験勉強開始した。彼女の意志知った両親津田英学塾星野塾長はこれを諌め1935年昭和10年)に本科卒業する塾長薦め従い大学部へと進学した当時津田大学部では、数名生徒に対して西脇順三郎が英語を、玉川直重がラテン語教えるなど貴重な教育体制整っていたが、美恵子は「ハンセン病治療寄与したい」という思い捨てきれなかった。 彼女は、当時死病であった結核感染したため、軽井沢へと転地療養送られたが、組織的な勉強重要性気付いた彼女は、その訓練をかねて秋に旧制高校教授資格である英語科高等教員検定試験受験し、これに合格している。一旦は病状収まったものの、翌年再発し再び療養生活へと入った。死ぬまでに「古典文学読んでおきたい」とベッドの上独学励みイタリア語ダンテを、ドイツ語ヒルティを、さらに古典ギリシャ語新約聖書読み進めていったその中でマルクス・アウレリウスの『自省録』(ギリシア語)は、彼女の生涯通して座右の書となった結核医師薦め受けた人工気胸術によって完治している。

※この「誕生からハンセン病患者との出会いまで」の解説は、「神谷美恵子」の解説の一部です。
「誕生からハンセン病患者との出会いまで」を含む「神谷美恵子」の記事については、「神谷美恵子」の概要を参照ください。

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