誕生からハンセン病患者との出会いまで
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「神谷美恵子」の記事における「誕生からハンセン病患者との出会いまで」の解説
神谷美恵子(結婚前は前田美恵子)は1914年(大正3年)1月12日に内務省職員である父前田多門とその妻房子の長女として岡山市に生まれた。兄弟には兄の陽一の他、後に一男二女が生まれている。父の多門はその年の4月に長崎県の理事官へと転任し、一家は長崎へと転居、翌年には内務省本省勤務となり東京へ転居している。多門は内務省におけるエリート官僚として、外国との折衝を始めとした役職を歴任したため、一家は頻繁に転居している。両親が外国へ出張している際には、兄弟は離ればなれになって親類の家に預けられることもあった。1920年(大正9年)に多門は内務省を退職、東京市助役となり、1921年(大正10年)に一家は大久保百人町に転居した。美恵子は聖心女子学院小学部二年へと編入したが、カトリックにより運営され貴族的な雰囲気を有していたこの学校での生活には違和感を覚えていた。 1923年(大正12年)7月、多門は国際労働機関の日本政府代表に任命され、一家はスイスのジュネーヴへと向かった。美恵子は市内にあるジャン=ジャック・ルソー教育研究所付属小学校へ編入学した。1年生から6年生までの20人あまりの生徒が一つの教室に集められ、各自の能力に応じた指導を受けていたこの学校で、美恵子は「急に明るくなり、成長した」。この頃両親は二人の結婚式の媒酌人であり当時国際連盟事務次長を務めていた新渡戸稲造と親密に交際しており、彼を尊敬していた両親と同様に美恵子も新渡戸から大きな影響を受けた。しかし、共に貧しい境遇から努力によって身を立ててきた両親の間は不和とは言わないまでも争いが絶えなかったようで、美恵子は長女として幼い頃から家庭に気を配り、父の社交に加わっていたが、後にこのことは大きな負担であったと記している。 1925年(大正14年)には新たに設立されたジュネーヴ国際学校の中学部に入学した。スイス生活が長引く中で、兄妹はフランス語を日常会話においても用いるようになった。後になっても美恵子は「フランス語でものを考えること、読むこと、書くことがいちばんらく」であると語っている。 1926年(大正15年)に12月末に一家は日本に帰国し、翌年の8月に多聞は東京市政調査会専務理事として勤務した。美恵子はいったん自由学園に編入学したがそこでの教育になじめず、1927年(昭和2年)9月には成城高等女学校へと転学している。学校の他にアテネ・フランセにおいて語学を、無教会主義に属する伝道師であった叔父の金澤常雄の主催する研究会では聖書を学んでいた。宗教に関しては後にクエーカーへ、さらに晩年には仏教へも興味を示したが、キリスト教に対する関心は生涯失うことは無かった。1932年(昭和7年)に成城高等女学校を卒業後は、兄のすすめで津田英学塾本科に入学した。 1934年(昭和9年)に美恵子は金澤からオルガンの伴奏役としてハンセン病療養所施設の訪問に同行するよう求められた。叔父とともに多磨全生園を訪れた彼女は、ハンセン病患者の病状に強い衝撃を受けた。後に彼女は、ある種の「召命感」と伴に、自分が身を捧げる生涯の目的がはっきりとした、と語っている。 美恵子は、医師としてハンセン病患者に奉仕しようと決意し、東京女子医学専門学校の受験勉強を開始した。彼女の意志を知った両親や津田英学塾の星野塾長はこれを諌め、1935年(昭和10年)に本科を卒業すると塾長の薦めに従い大学部へと進学した。当時の津田の大学部では、数名の生徒に対して西脇順三郎が英語を、玉川直重がラテン語を教えるなど貴重な教育体制が整っていたが、美恵子は「ハンセン病治療に寄与したい」という思いを捨てきれなかった。 彼女は、当時死病であった結核に感染したため、軽井沢へと転地療養に送られたが、組織的な勉強の重要性に気付いた彼女は、その訓練をかねて秋には旧制高校の教授資格である英語科高等教員検定試験に受験し、これに合格している。一旦は病状が収まったものの、翌年に再発し再び療養生活へと入った。死ぬまでに「古典文学を読んでおきたい」とベッドの上で独学に励み、イタリア語でダンテを、ドイツ語でヒルティを、さらに古典ギリシャ語で新約聖書を読み進めていった。その中でもマルクス・アウレリウスの『自省録』(ギリシア語)は、彼女の生涯を通しての座右の書となった。結核は医師の薦めで受けた人工気胸術によって完治している。
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