イタリア植民地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 14:38 UTC 版)
1911年から始まった伊土戦争の結果、1912年にトリポリタニア、フェザーンと共にオスマン帝国からイタリア王国へと割譲され、保護領となった。 1919年5月17日にイタリアの植民地となったがイタリアの支配に対し、イスラム神秘主義のサヌーシー教団などがキレナイカ内陸部を拠点として抵抗運動を行った。イタリアは鎮圧に力を割くことになり、1920年10月25日から1929年までムハンマド・イドリース(後のイドリース1世)をアミール(首長)として承認した。1922年にイタリアでムッソリーニが政権を握り、キレナイカの支配を強化したため、イドリース1世はエジプトに亡命した。後継としてオマル・ムフタールが教団のゲリラ部隊を率いて山岳部で抵抗を継続したが、1931年に平定された。 その間、イギリスとの協定によってエジプト国境が直線に引き直され、1934年1月1日、トリポリタニア、フェザーンとともにイタリア領リビアとして統合された。 第二次世界大戦においては北アフリカ戦線初期の激戦区となり、枢軸軍(ドイツアフリカ軍団及びイタリア軍)とイギリス軍による攻防が繰り返された。
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