イタリア最初の活版印刷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/21 20:33 UTC 版)
「スビアーコ」の記事における「イタリア最初の活版印刷」の解説
修道士には多くのドイツ出身者がおり、スビアーコにはドイツの技術・科学・芸術が集まった。印刷技術者のアルノルト・パナルツとコンラート・スヴァインハイム (Arnold Pannartz and Konrad Sweynheim) は、スビアーコに印刷機を設置し、De Oratore(キケロ『雄弁術』、1465年印刷)や De divinis institutionibus(ラクタンティウス『神聖教理』、1465年印刷)、De Civitate Dei(アウグスティヌス『神の国』、1467年印刷)などを印刷した。これらは Subiaco Press と呼ばれ、イタリアで印刷された最初の活版印刷物(インキュナブラ)であり、またはじめてローマン体の活字が用いられた事例である。
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